INFORMATION

Dancehall Queen Reportやダンスホール事情、ダンサーインタビュー、ジャマイカのダンス情報などを中心にお届けします☆


(Lady-K fr Ruff-Cut)

記事一覧

ジャマイカリポート PT.1 -by CRi$sY-

CRi$sY RE TVに出演!

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ジャマイカ版"MTV"のようなRE TV(レゲエエンターテイメントTV)のトークショーに出演したょ!(徹子の部屋 IN JAMAICA!?)

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(写真:インタビュー撮影中)

キュートなMC LADY RENNAE と「Mother's」でランチをしながらインタビューを受ける新番組。(Mother'sは日本のモスバーガーみたいなレストランだょッ)

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ジャマイカリポート PT.2 -by CRi$sY-

CRi$sY RE TVに出演!

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(写真:コチラMother's)

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(写真:キングストンの中心街 Half Way TreeのMother's)

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(写真:RE TVのカメラマン)

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ジャマイカリポート PT.3 -by CRi$sY-

CRi$sY RE TVに出演!

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(写真:LATONYA & CRi$sY)

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(写真:RE TVオフィスにて)

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Dancehall Queen Junko出演 -日テレ10/9放送予定

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2002年のJamaica Dancehall Queen Junkoの特集番組が放送される予定です。
詳細は下記のとおり。

▼2010年10月9日(土) 23:00〜23:30 放送予定

▼番組名:「心ゆさぶれ 先輩ROCKYOU」

▼放送局:日本テレビ系列 全国ネット

▼放送内容:

番組内のトゥルーストーリーでDancehall Queen Junkoを取り上げます。

Dancer JunkoがDancehall Queenになるまでを再現VTRなどで紹介します。

撮影は都内の有名なクラブなどで行い、多くのレゲエ関係者の方に出演していただきました。

ということで、みなさんお見逃しないように〜

(Kazumi@Ruff-Cut)


秘蔵の90'S DANCEHALL DVD - BOGLE VS TOLLO(FRESH KIDS)

久々に秘蔵の90'S DANCEHALL DVDを紹介したいと思います。

さて今回紹介するのは倉庫から引っ張り出してきた(!)
1994年収録の「STONE LOVE 22TH ANNIVERSARY」です。

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(STONE LOVE 22TH ANNIVERSARYのフライヤー)

このビデオのメインはRub A Dubなんですが、途中ダンギャルダンサー VS MODELING CREWのダンスクラッシュ、後半にBOGLE VS FRESH KIDSのTOLLOのダンスクラッシュなどが収録されています。

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(BOGLE)

16年前のものなので出演者全員がめちゃくちゃ若いのは当たり前なんですが
BEENIE MANやBOUNTY KILLERが今の方がめちゃくちゃカッコいいので
いい年の取り方をしているなとあらためて思いました。

ちなみにELEPHANT MANはキラーの脇でずっとダンスをしていてマイクを最後まで握ることはありません。

またANTHONY BはドレッドじゃないRAGGA DEEJAYだし、BEENIE MANはSHOCKING VIBES CREW所属です。

細かい内容はSTONE LOVE 22TH ANNIVERSARYのDVDのレビューとサンプル動画を見てもらえれば伝わると思うんですが
ステージでもフロアでもクラッシュしててVibes高いです。

STONE LOVE 22TH ANNIVERSARY 1994のDVDはこちらで購入出来ます(※サンプル動画あり)

ステージでは相変わらずBEENIE MAN VS BOUNTY KILLERのクラッシュモードで
KILLERがBEENIEにマイクをなかなか渡さないので
最初はニコニコしていたBEENIEも途中切れます。

BOUNTYがGYAL達をステージに上げる時も
最初はモデリンクルーがステージに出て来たのかと思いきや
女の客が「NO! NO!」と否定する罵声が聴こえ、
すぐに後ろからダンギャルダンサーが出てきてステージを乗っ取られます。

マーシレスも最後は客に物を投げられているし、DeejayもDancerもクラッシュのやり方がこの頃の方が露骨なんですよね。

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(ステージを乗っ取るダンギャルダンサー)

フロアでもBOGLE中心にみんなでダンスをしていたかと思いきや
TOLLO(FRESH KIDS)がビデオライトの前に出て来て文句を言い始め、場の雰囲気が乱れてます。

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(TOLLO/FRESH KIDS)

とにかく現場ではみんな自分が一番なので戦っています。
しかし当時の先輩方がかなり強いので、若いダンサー達はちゃんと退くとこは退いていて
ひどい喧嘩にはならないのが、これまた感心なんですが。

この「STONE LOVE 22TH ANNIVERSARY」の他にも
故BOGLE、故ICE、JOHN HYPEなどがBLACK ROSES CREWとして一緒に踊っている
ヤバいシーンが収録された「BUZZ 2001」があります。

こちらもオンラインショップですでに掲載していますので
レビューとサンプル動画がチェック出来ます。

BUZZ 2001 VOL.3のDVDはこちらで購入出来ます(※サンプル動画あり)

このようなジャマイカのビデオはダンスだけでなくファッションチェックも楽しめます。

当時、このような派手な衣裳を売ってた私は本当にジャマイカのビデオにお世話になったものです。

久々にこの「STONE LOVE 22TH ANNIVERSARY」のビデオを見たら
この時代に私が売っていた同じ衣裳が次々と画面に出て来て本当に懐かしくなりました。

80〜90年代は今のようにインターネットもなく
ましてやレゲエのダンススクールもなく、ジャマイカにもちょくちょく行けなかったので
ジャマイカの情報が本当に乏しかった。
だから流行のダンスからファッションまで、ジャマイカのダンスホールビデオから吸収したものです。

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(MODELING CREW)

当時MUSH UPしてたOUCH CREW、BOGLE、MODELING CREWなど
穴があくほどビデオで見ていたので
実際にジャマイカで本人を見かけた時には興奮してしまって
「いつもビデオで見ていてよく知ってるわ!」と言ってしまった経験もあるくらい本当にかっこよかったんです。

今回は私のエピソードも交えて書いたので長くなってしまいましたが
またこんな感じでエピソードを混じえながら秘蔵のDVD情報などを更新していきますね。

80'S~90'S DANCEHALL DVDはこちらで購入出来ます

(Kazumi@Ruff-Cut)


Sample Six ニューダンス

4人組のSample Six Crew。

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リーダーのGarth Sampleがリードボーカルとなり"Bounce"という新曲を発表。

そしてタイトルと同じ名前の"Bounce"というダンスを披露している。



過去にもMr.Wacky,John Hype,Ding Dongなど彼らはダンサーとしての才能として留まることなく幅広い活躍を見せている。

彼らのミュージックビデオはyoutubeでチェックできます。

http://www.youtube.com/watch?v=gNnhggZrNeM

(Kozz fr Kingston, JA)


ニューダンスのクロコダイル

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チチン(Chi Ching Ching)のニューダンス、クロコダイルはチェックしてますか?

前屈しながらのそのそと(クロコダイルのように)前に進むダンスです。

最近のPassa PassaのDVDでチチンが出ているものだったら必ずこの動きをやってます。

こないだ入荷したSherlock主催のダンス「Vintage」のDVDでは
クロコダイルの絵の書いたシューズや、ラコステのロゴ(クロコダイルの刺しゅう)を強調した服などをダンサー達が着ていました

最近ではチチンが「Crocodile」というチューンもレコーディングしたらしいので
CDなどでチェックしてみてね

とにかくMIX CDなどのIntroなどでも最近よく耳にするチチンのジングル。
絶好調な彼の最新の記事がジャマイカニュースのページでチェック出来ます。

http://www.ruff-cut.com/ja_news/archives/72.html

(Kazumi@Ruff-Cut)


Keivaアゲイン!

●"準備万端よ"

ファイル 89-1.jpgダンサーKeivaが彼女がもともとメンバーだったCosmic Dancersのクルーと共にダンスホールへ戻ってきた。

彼女の経営するショップ(Keiva's Closet)にビジネスを専念させる為2年以上ダンス活動をしばらく休止していたが

彼女曰く「最近のつまらないダンスシーンを盛り上げに」戻ってきた。

彼女がCosmic Dancersで活躍していたのは2003年~2004年。その後メンバー達が別々の道へ進んでいった。

しかし最近彼女は元メンバーらと再結成をした。

彼女はStar紙のインタビューに
「ダンスをやめた事などなかったわ。
ダンスは私の人生、趣味、情熱。
ダンスをしていることで車を買ったりお店を始めることができたの。
でもいろいろな人たちが
「Keiva、何でダンスやめちゃったの?」って聞きに来るわ。
だけど実際はやめた訳ではなくてショップのビジネス展開をさせる為に少しの間だけ休憩していたのよ。」
と話す。

●自信に満ちて

ファイル 89-2.jpg彼女のショップは順調にに行っていると話す。 

有能なアシスタントに恵まれ、またダンス活動を始めようという自信が持てた。

「たくさんのアーティスト達が私がダンスをやめていた事を怒っていたわ。
だって私がダンスへ出かけたら皆私が踊りだすのを待ってるし踊りだしたら皆が注目するの。この間Fresh FridaysにCosmic Crewに行った時もそうだった。

私は勇気があるし人々はそれにとてもリスペクトしてくれる。
ビデオライトはいつでも私を捉えるの」

ここに戻ってくるまでCosmic Dancersは練習を繰り返していた。

オールドスクールスタイルの新しいダンスを創ったり(名前はまだ付けられていない)している。

彼女は"Sexy Mama"というニューダンスも生み出し
Spice, Voice Mail, RDXなどのビデオにも出演した。

そしてRDXのショウにもCosmic Dancersは出演する事が決まっている。

「私達毎日猛練習をしているわ。
今までとは違うものを。
だって今は皆同じことをやってるじゃない。
本物のダンスなんて見れなくなっちゃたわ。
だから私がダンスへ行って女の子達に見ててあげるの。

例えばDance Xpressionは彼ら独自のスタイルを持っているわ。
だから我々も新しいスタイルをやれば絶対注目の的よ」
と話した。

翻訳・文:Kozz (from Kingston, JA)


最近気になるダンサー:DANCE EXPRESSIONZ

最近好きなジャマイカンダンサーはDANCE EXPRESSIONZ。
ドレッドの男ダンサー一人とガールズダンサー数名によるユニット軍団。
このDANCE EXPRESSIONZ所属のガールズダンサーの一人が最近気になるダンサーなんですが名前がわかりません。

このダンスクルー達を知ったのは2005年8月8日にアサイラムで行われた男のダンス・クラッシュ「JIGGY TIME DANCE COMPETITION」のゲストダンサーとして出演してたのを見たのが最初。

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JIGGY TIME DANCE COMPETITION 2K5のDVDはこちらで購入出来ます

このダンスクラッシュは同年の2005年1月に他界したKING OF REGGAE DANCER、Bogle aka Mr.Wackyをトリビュートしたダンスコンペティションで、当時毎週月曜にアサイラムで行われていたCASH MONEYのレギュラーダンス「CASH MONDAY』のスペシャルイベントとして開催された。

この時出演していたDANCE EXPRESSIONZ(ダンスエクスプレッションズ)はドレッドの男ダンサー一人とガールズダンサー二人のユニット。
しかし私的にはあまり好きなスタイルのダンサーではなかった。
ビジュアル的に見てもあまりかっこよくなかったし、
女のダンサーも地味な感じでダンスホールというよりHIPHOP色が強く、好みではない。

その後2007年に始まったアップタウンダンス「BEMBE THURSDAYS」で
レギュラー出演していたダンスエクスプレッションズを約2年ぶりにDVDで発見。

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BEM BEH THURSDAYSシリーズのDVDはこちらで購入出来ます

2年前に見た面影はなく、メンバー構成も変わっていたが、やはり惹かれる魅力は感じなかった。

正直なところ、一緒に出演していたMAD MICHELLE(MY DANCER!大好き)やQUEEN LATISHA、QUEEN DAHLIA、LOTTI(大好きなダンサーの一人)の方が好きだし、ダンスも数倍上手いって思ってました。

話しは変わって、2006年頃から大人気のロードダンス "DUTTY FRIDAZE"。
RUFFCUTでは当初のVol.3からこのDutty FridazeのDVDを取り扱っています。
最近ではこのDUTTY FRIDAZEの場所がアサイラムに変わり、ますます活気的。

さて、そのロングセラーDVD「Dutty Fridaze」のvol.43とvol.44に、この"DANCE EXPRESSIONZ"が初クレジットされたので
Bembeからおおよそ2年ぶりの再会となったわけです。

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DUTTY FRIDAZEシリーズのDVDはこちらで購入出来ます

久々に見たメンバーはまたもや再編成されていて、いなくなったダンサーもいた。
最近のPVでエクスプレッションズがバックダンサーやっているのも見ました。

Dutty Fridaze44のDVDのINDEX表紙になったエクスプレッションズのガールズダンサーの彼女は
ダンスもイケてるしおまけにかわいいです!↑↑↑
ルックスもダンススタイルもヴァイブスもファッションも好きですね~

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あとDanceHall Queen JUNKOが優勝した2002年のジャマイカのDancehall Queenで2位を獲得したステイシーアンが、
最近のDutty Fridaze vol.43に久々に出てました。

エクスプレッションズのガールズダンサー達とドレッドの男ダンサー一人という組み合わせも新鮮で面白い。
最初に見た時の印象とは随分変わり、ファッションセンスもかなりあか抜けてるし、
メイクやファッションで印象が違うし顔の表情も豊かになってました。

2005年から2009年のDANCE EXPRESSIONZの成長ぶりが見えた発見でした。
興味ある方はぜひ上記で紹介したDVDをお試しあれ~♪

(Kazumi@Ruff-Cut)


ダンサーIceが即死

Boxing Day(クリスマスの翌日の祭日)の朝早くダンサーIceがKingstonのKeesing Avenueで車内にいる所をガンマンによって撃たれ、即死した。

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(画像上:Ice @Dutty Fridaze 42)

「彼は運転している所を何者かに呼び止められそいつらに撃たれたんだ。

車に同乗していた女の子を引き釣りだし車に乗って逃走したんだ。
聞いた所によると死体はまだKeesing Ave.にあって
一緒にいた女の子は赤ん坊みたいに震え上がってるそうだよ。

と関係者は話した。

ダンサーIceは「Gully Creeper」を生み出し今年のブームを作り上げた。

Willy Hagard, Bogle, Ice・・・Black Roses Crewを消滅させようとしている者の犯行なのか。犯人はわかっていない。

翻訳・文:Kozz (from Kingston, JA)


Black Blings ファッション編

彼らのユニークなパンクロック、ゴススタイルを混ぜたファッションは彼らの言う「Fasion Over Style」をイメージしている。

Star紙がSpanish Townにある彼らの家を訪れたとき、メンバーのChrisとJohn Blingは衣装の一部を見せてくれた。

ショッピングは主にアメリカでしている。

彼らのイメージとなる物を見つけに「Hot Topic」「H&M」などのショップによく行く。

Chris Blingによるとメンバーそれぞれ違った特徴があるが好みのものは似ているという。

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(写真はTek Weh Yu Self T-シャツを着てポーズを取るChris BlingとJohn Bling)

John Blingの場合は時々Linkin Parkなどのロックを聴いていて
ロック系のT-シャツを持っていたらゴススタイルになったりする。

それにボーグルがつけていた物と似ているタイプのチェーンを着ける。

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(写真はセミフォーマルを着こなしたダンシングアワードでの写真)

Johnは
「俺たちは他のダンサーと違ったファッションをするのが好きなんだ。
状況によって服装を変えたりね。

同じ服は二回以上は着ないな。
一度人に見られたらもうそれは着れないからな。

時々俺らのゴススタイルをジャマイカ人が見てフリーク(変人)だと言ったりするけど
俺には人の言ってることは関係ないね」

彼らは頭からつま先まで完璧なコーディネイトをする為の努力を惜しまない。

Black Blingazのスニーカーコレクションはハンパじゃない。
彼らはさまざまなスニーカーを全色、全スタイル持っている。

彼らにとってブランドは全てではない。

「洋服が人を着るのではなく人が洋服を着るのだ」

彼らの印象的なルックスにインスピレーションを受けた洋服メーカーのRep Jamaicaが
"Black Dem Out"と名づけてT-シャツを作った。

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(写真左はパンクロックのChrisとJohn Bling)
(写真右はチェッカー柄のコーディネイト)

(翻訳:Kozz)


Shelly Belly Interview

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出かける時はちょっと小粋なコーディネイトをするのがダンサーShelly Bellyがいつも心がけている事だ。

他の派手なダンサー達とは違い一見地味だがそれでもスタイリッシュに着こなしをしている。

Star紙が彼の母親が経営をしているバーを訪れた時Shelly Bellyは"ジャマイカンスーツ"を着こなしていた。

ジャマイカ国旗をモチーフにしたジャケットはとてもカラフルでそれに合わせたジーンズもグリーン、ブラック、ゴールドカラーが施してありジャケットによくマッチしている。

Star紙のインタビューでは

「このジャマイカンスーツはJohn Hypeの彼女から貰ったんだ。彼女はJohn Squad全員に衣装をプレゼントしてもうメンバーでない俺にもリスペクトの気持ちで持ってきてくれたんだよ」
と話した。

頭から足元まで全てマッチさせるコーディネイトが好きでアメリカツアーに行った時などにショッピングをしローカルでは彼の友達でもある'White Sky'のSmileyがデザインした物を好んで着ている。

「普段は長袖シャツにベストの組み合わせをよくしているよ。カラーは絶対俺の'Gents(ブリティッシュ系シューズの種類'にマッチさせるよ。外に出たら皆に見られるわけだからね」

通行人は必ず彼のスーツと'Gents'にフェルトのハットに目を留める。彼はこのスリーピーススーツとそれに合わせたサングラスをとても気に入っている。

彼のファッションはいつでも人々の話題になるのだ。

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(翻訳:Kozz)

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Shelly Bellyが "Passa Passa In Tokyo" に来日した模様がPhotoのページで見れます。
Passa Passa In Tokyoのページはこちら♪


Sample Six Interview

今日はダンスホールでの新しい「ファッションアイコン」であるダンサー達を見てみる。

もしダンサーについて何か知っているとすればそれは彼らのファッションが彼らのイメージの一部となっている事だ。

今日は"Sample Six"のファッションに注目してみよう。

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写真はSample six - 左からShowers Sample, Garth Sample, Scotty Sample

彼らのファッションスタイルは3人のファッションが皆の"Sample(手本、見本)"だと言われるほどでその名前がついたぐらい決して見落とすことのできないスタイルだ。

ブーツから、ヘアスタイル、ジュエリーからタトゥー、有名ブランドの服装までメンバーのGarthは
「人と違う物を着なくちゃいけないんだ。ノースリーブをたくさん持ってるけどベルサーチ、モスキーノ、ヴァレンティノなどのブランドでなおかつシンプルでなくてはいけないんだよ」

もちろん靴も重要だ。

靴はエアフォースワンとオールスターズに限る。
何故かというと靴底が平らで履きやすいからだ。

▼それぞれの香水

Garthによると「ある夜三つのそれぞれの香水を一晩で使い切ったよ。
ダンサーはいつもいい香りじゃないとね。
ベルサーチやイッセイミヤケ、アイスバーグにペリーエリスなんかの香水を使ってるよ」

三人はユニフォームのように揃えているけど決していつも同じではない。

Garthは
「例えば一人が全身白で決めていたらもう一人は黄色でもう一人は赤という感じだ。今は明るい色を良く着てるよ」

もう一人のメンバーScottyはシンプルな着こなしは好きだけど
「他人が着ているのと同じものは家の中でも着ない」と話す。

そして「毎月海外から友達が来ていつも新しい服やグッズを持ってくるんだ。
だからいつも新しい服を着てるんだよ」

ネタ切れになる事はないのだろうか?

Star紙がSample Sixを訪れたとき彼らのコレクションを見せてもらった。

それは全て見切れないぐらいのコレクションの数で
Scottyは50足以上の靴を持っていて他のスーツケースにもまだたくさんの靴が入っていると言う。

もう一人のメンバーShowersは
「それぞれのファッションは自然に身にまとっているけれどどんなイベントでも必ず一人一人トレードマークがあるんだ」
と話す。

「俺は三人の中でも一番タトゥーが多いんだ。
人々は俺のことをそれで覚えてる。
だって中には俺らの名前を知らないけど他の何かで覚えてるって事もあるからね。
だから俺はタトゥーでGarthはヘアスタイル。
彼しかあんな頭のヤツはいないよ。
Scottyはさしずめカットしたハーフパンツかな。
でも他のヤツらはそれを一晩しか履かないけどヤツの場合はそれを一ヶ月とか履き続けてそれからまたスタイルを変えたりするんだ。

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写真はGarth-靴のコレクションを見せるGarth

Showersによるといつも出かけるときはその時の気分で服装を選ぶという。

「例えばある晩はPointed Mouth Shoes(先のとがったブリティッシュ系シューズ)で決めるんだ。
スニーカーでもなくT-シャツでもない気分だ。
その時の気分だよ。

皆の注目を浴びるような事をするのが好きなんだ。
だから俺らの名前もこう呼ばれてるんだ。

時には皆で髪型を変えたり時にはジーンズの片足だけまくってみたり皆の意表をつくのが好きなんだよ」

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写真はGarth_Tims-黒のTimberlandを履いてポーズをしているGarth

ローカルでも海外でも彼らはショッピングをする。

彼らの'Sample'ストアはManhattan,New York
それからもちろんダウンタウンのアーケード(キングストンのダウンタウンにある建物)もだ。

ビデオライトの前で踊るとき彼らにはひとつの規則がある。

それは彼らのスタイルを常に新鮮であり続けることだ。

Garthによると
"when wi wear one sum'n wi cyan really wear it again suh like when di video catch yuh inna one ting, wi cyan really guh wear it again."
(一度着た物はもう着る事はないな。だからビデオに映ったものは二度着る事はないよ。)

(翻訳:Kozz)


Timeless Interview

クラシックで貴重

これがダンサーTimelessのTazとBlueが語る彼らの全てだ。

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(画像は左がTazで右がBlue)

元々メンバーは5人いたが今は2人のみで活動しており、
人数が減ったからといって彼らのダンスの質が落ちるわけではない。

Timelessは1999年より活動をはじめJamaica Cultural Development Commissionによるコンペティションに参加をし
準決勝まで進出し彼らのダンスは話題を呼んだ。

が、結局TimelessはPassa Passaなどのストリートダンスでダンスを競うことに決めた。

彼らにとってはじめてのブレイクはPassa Passaだった。

そしてその後BembeやDutty Fridazeなどで更に人々の認識を高めた。

Spanish Town出身の彼らのグループ名はコンペティションが終わった後についた。

そしてTimelessという名前の由来はVybz Kartelがよく使っていた所が大きなインスピレーションとなった。

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二人は音楽ビジネスにも活動を広げており
Tazは最近DJ Sunshineにシングル「Disturb」をボイシングし
Arif Cooperへ「The Power Cut featuring Bugle」と「To The World」をボイシングした。

TimelessはStar紙のインタビューに
「俺らはいつも遊びに出かけているよ。
昼間は寝て夜はパーティに行くんだ。
海外でもたくさんのショウをするしダンスで飯を食っているんだよ」

Timelessのダンスには'The Jag', 'The Boston', 'Fraction', 'Gangsta Rock', 'Disturb', 'Power Cut', 'To The World(最新のダンスで今皆がやっている)' などがある。

(翻訳:Kozz)


Ravers Clavers Interview

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Ravers Claversはダンサーとしてだけでなく様々な方面で活動しているエンターテイメント集団だ。

ダンサーとしてはStrength Ravers, Ding Dong, Pencil Ravers, Chicken N Beer, Sir Yummy, Mundo Ravers, Johnno Bravo, Juniel Ravers, Peanut Ravers, Delly Ravers, J Ravers, Charlie Ball, Jeggae Ravers, Overmarsの以上14人のメンバーがいる。

Nannyville Gardensというコミュニティからやってきた彼らは
元々コミュニティの「先輩」達のダンスを見ながらできあがった。

毎週日曜日にはCaveman Soundがプレイをしダンサー達はそこで歴史を刻んでいった。

しかしRavers Claversは2000年まで真剣にダンサーとして活動していたわけではなかったが
2003年にはローカル、インターナショナルと共に有名になった。

彼らはいつも集団で行動しておりいつも一緒にいる所を見かける事ができるし
他にはメンバーのOvermarsが主催のNannyvilleでやっている"Gabba Sundays"などで見かける事ができる。

Overmarsによると"Ravers"はブリティッシュ用語の「Rave(Party)」に"Clavers"のライムを載せてRavers Claversと名づけたという。

Star紙のインタビューでは
「若い人たちの見本になれたら、と思う。
そしてそれがビジネスに繋がればいいね。
僕らにとって成功だけが全てじゃなく変化が見たいんだ。
犯罪が少なくなる、とかね。
それが僕たちのやりたい事なんだ」

彼らのダンスはBad Man Forward, Raging Bull, Chicken N Beer, Cut Dem Off, Pre-dem, Sashe Coolなどがある。

(翻訳:Kozz)


Black Blingaz Interview

Star紙の"Artist of the Months"で数回に渡りジャマイカのダンサーを特集しているのでこちらで紹介しようと思います。

まず最初はBlack Blingazから。

Black Blingaz - Power to the People - 人々へパワーを

ファイル 96-1.jpgBlack Blingazにとって必ずしも全てのグリッターがゴールドというわけではない。
それは何かもっとパワフルな物、雄弁さで踊る能力、ブラックパワーの力であり
Black Blingazは5人のメンバー(Chris Bling, John Bling, Migz Bling, Marlon Bling,German Bling.) で構成されている。


(写真左:Chris Bling 右:John Bling)

彼らにとってダンスは生まれつきな物だった。
メンバーはSpanish Townで一緒に育ち覚えている限りではいつも一緒に過ごしていたという。

「Black Bling」の名前の由来は彼らをダンスのポスターに載せようとしたプロモーターがポスターへ載せる名前を聞いたその当時の流行り言葉「Bling Bling」から来ている。

それ以来Passa PassaやたくさんのDVDで彼らのダンスが見られるようになった。

彼らを言葉に例えたら「Fresh and Clean(新鮮で清潔)」。
いつでも出かけれるように常にきっちりとした格好をするように心がけている。

Star紙のインタビューに
"Black Blingazは皆のモノさ。
誰でも気軽に話しかけてくれよ。
俺たちはいつも新鮮で綺麗でまっすぐで流行の先端を行ってるんだ。
その辺のただのジャラジャラつけてる集団とは一緒にしないでくれよ。
Blingとは俺たちが極めたい事でBlackって事は俺らのシンボルカラーなんだ"

Black BlingazのダンスはEver Fresh Ever Clean, Caan Tired, Tek Weh Yuself, Black Dem Out, Myspace, Scissorsなど他にもたくさんのダンスがある。

次回はRavers Claversです。お楽しみに!

(翻訳:Kozz)

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Black Blingazが来日した「Dancehall Queen Junko Birthday Bash - Black Blingaz Japan Tour in Boat Ride -」の模様がこちらで見れます


近年のジャマイカにおけるダンス事情

ヘッドトップ(三点倒立)が"スゴ技"の時代は終わってしまった。

今のダンサーはオリンピック並のアクロバティックなダンスをしその中には危険なダンスもある。

危険なダンスと知られている"Dutty Wine"。

それと新しいダンスの"Drop Dead"と"Grievance"。
ダンスは危険も伴う物となってきた。

このダンスは"Dutty Wine"を生み出したMontego BayのAttitude Girlsによって創られた。

しかし"Drop Dead"という名の通りダンサー達は木、家、電柱や人間などに登りダンスをしようとするが
中には本当に"Drop Dead"してしまうダンサーもいる。

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(画像: Drop DeadをDutty Fridazeで披露するダンサー)

DUTTY FRIDAZEのDVDはこちらで購入出来ます
※サンプル動画あり

もうひとつのダンス"Grievance"は男女間の力関係を表して見せるダンスで
男女がケンカのシミュレーションをする動きだ。

男ダンサーが女ダンサーの腹にパンチを食らわせるように見せたり時には
女ダンサーは地面に投げられたり別の男ダンサーに向けて投げられたりする。

Star紙によるとこのダンスはDing Dongとそのクルーによって生み出されたダンスだそうだ。

Star紙はこの"Grievance"についてのコメントをDing Dongより貰おうとしたができなかった。

しかしダンスホールクィーンStacyは"Grievance"について
「あれはダンスというよりトリックのような見世物」
とコメントをしている。

Stacyはこのダンスがそんなに危険性の強い物だとは見てないが
ダンサー達はダンスを違う方向へ持って行ってしまっていると語る。

「ダンサー達は自分のリミットを知っているわ。
観客はそれをマネして怪我したりするのよ。
エンターテイメントの一部だって考えないと。
皆が皆やらなくてもいいんだから。」

「もしすごく太ってる女性がDrop Deadをやっているのを見たら彼女は痛いに決まってるじゃない?」

最初に女性ダンサーで高いところに登り
エアロビックな動きをしたのはStacy自身だが彼女は「ダンサー達は極端」と話している。

「女の子達は行き過ぎてるわ。男ダンサーに地面に投げつけるよう促したり。
頭割ったのを見たこともあるわよ。皆の注目を浴びたいからやり過ぎるの」

そして実際にそのダンスを見てやっているダンサーIceは
「女を殴ってコテンパにしちゃうような動きのダンスだ。

もちろん見せかけだけだよ。本当の話、女ダンサーが男ダンサーにやるように
仕掛けてきたんだ。俺は関係ないしこのダンスは好きじゃない。

もっとダンスを激しくやりたいダンスホールウーマン達だけがやるんだ」
「ダンスは激しくなっていってるけど実際に危険な場面を見たことはないな」
とコメントをしている。

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(画像: Bembe Thursdayで鉄のポールに登る女性ダンサー二人)

BEM BEH THURSDAYSのDVDはこちらで購入出来ます
※サンプル動画あり

ダンスによって命を落とした18歳のTanisha Henry。
Tanishaは去年の10月29日に亡くなり彼女は"School-uniform Party"
での"Dutty Wineコンテスト"に出場の最中に倒れ、病院に運ばれたがその後死亡した。

医者Dr.Paulによるとダンスを見たところ特に危険性はないとし
"Dutty Wine"にだけ関しては、首の回しすぎが危ないと指摘しているが、
最近はそれも(Dutty Wine)もやる人が減ってきているし"Drop Dead"に関しては
高いところに登った際、滑るのに気をつけるだけでその他は特に危険性は感じないとコメントをしている。

(翻訳:Kozz)


DING DONG'S NEW DANCE - BEFORE SUMMER & SURF

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久々のニュースの更新です。お待ちいただいてた方には本当申し訳ないです。
今回は人気ダンサー Ding Dongの記事を紹介したいと思います。

イギリスのレゲエチャートで1位を獲得した Ding Dongのシングル「Bad Man Forward, Bad Man Pull Up」の歌詞の中でも歌っているニューダンスの「Before Summer」。

ダンサーだけでなく、Deejayとしても活躍中のDing Dongが、今度はその同名の曲をレコーディングした。

「このダンス(Before Summer)はあちこちですぐに流行るよ。
見たらすぐにわかるダンスさ。ちょっと変わったダンスだからね。
6つの違ったダンスから作られているんだ。

今俺たちが支持しているロードダンスは、毎週日曜日にマウンテンビューのレイバーズ・クレイバーズ・パークでやってる「Gabba Sundays」さ。」

Ding DongはRavers Clavers Crewと一緒にバハマでのショーを控えている。

「今俺たちはヤバいショーをやってるんだ。毎週末はどこかしら営業に行ってる。みんな俺たちのショーが大好きだからね。」

YardFlex.Comの情報によると、先週、St.AndrewのNannyvilleにあるレイバーズパークでDing Dongのインタビューをした時に
ロンドンのCHOICE FMではDing Dongのヒット曲「Badman Forward, Badman Pull Up」が初のNO.1を獲得したということだ。

最近ではDigicelのCMコマーシャルにも出たり、ちょっと前だったらVoice Mailのヒット曲「Wacky Dip」のPVなんかにも出ていたので、Ding Dongを見たことある人も多いだろう。

今の彼には自分の持ち歌の「Badman Forward, Badman Pull Up」があり、ジャマイカのShottas達(ギャングスタ)のために作られたというこの曲のダンスは、大ヒットとなった。
(かつてのギャングスタが踊るダンスは、こんなステップ系のダンスではないという固定観念があったんですが‥)

「Badman Forward, Badman Pull Upは、去年の夏、俺がイギリスに行った時にすでに作ったダンスなんだ。

イギリスで俺とキーバとマッドミッシェルとサディキとクレイグドレッドで最終的に仕上げた。
ちょうどサディキがイギリスツアーの真っ最中でさ。

その当時のダンスファン達はみんなボーグルのWillie Bounceに夢中で、他のダンスには目も向けないって感じだった。だから俺はみんながこのダンスに目を向ける時期を待ってたんだ。」

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(写真:Badman Forward Badman Pull Up" Live by Ding Dong【Jamaican Music Video Vol.46】)

Ding Dongの本名はKemar Ottey。

今までのヒット曲、Voice Mailの「Wacky Dip」や、BogleとVoice Mailの「Weddy Time2」などにもDing Dongの声が収録されている。
また数ヶ月前にはソロで「Chakka Chakka」の曲もレコーディングしている。
しかし、彼が初めて大きく注目されたのは、「Badman Forward, Badman Pull Up」である。

「今、最高の気分だね。だって、そうだろ?今までにどれだけのDeejayがNO.1を取ったことがある?
俺はすでにNO.1をゲットしたんだ。そりゃぁ最高な気分だろ!?」

このインタビューの時期、彼のシングルは、サウス・フロリダのレゲエシングルのトップ20のチャートでも15位にチャート入りしていた。

ジャマイカでは、ダンスというのは感情表現の手段として、またキングストンの広範囲に渡る多くのゲットー地域で起きているストリートのバイオレンスを防ぐための代償になるもの、と考えられている。

Ding Dong自身が設立したダンスクルー「Ravers Clavers」は、Overmars、Chicken and Beer、Johnny Bravo、Sir Yummy(見かけは一番年上に見えるが実際には一番若いダンサー)、Mundo、 Pree Dem、 Strengthから成り立っている。

すでに、このクルーで4月にはイギリスツアーの話も決まっているし、最近ではアンティグアとバルバドスにツアーに出ていた。

「Ravers Claversと名付けた理由は、俺たちは1週間のうちの7日間RAVEして(熱狂し続けて)、毎日を楽しんでいるからRAVERS。
で、毎日RAVEしながらDeejayをやりたいからCRAVERS。
俺が「Ravers Clavers」と名付けて、設立した。」
とNannyville在住の25歳のDing Dongは説明した。

「Badman Forward, Badman Pull Up」のダンスは、ダンスホールの現場に行く者達の中で今もっとも人気のあるダンスだとDing Dongは説明した。

「このBadman Forwardのダンスは、Jiggyでは踊りたくない、自分のルーティンで踊りたいというBad Man達のためのダンスなんだ。
ステップしながら踊る。
奴らが好きなダンスはみんなも好きになるし、絶対に流行るんだ。
それにしたって、こんなにたくさんのBad Man達がダンスして楽しんでいるのを俺は今まで見た事がないよ。」
と笑った。

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(写真:Badman Forward Badman Pull Up" Live by Ding Dong【Jamaican Music Video Vol.46】)

「みんなはこの曲がプレイされるのを待ってたんだ。だからみんな踊る。これは今始まったばかりさ。」

カラフルなシャツとゴールドのアクセサリーを身につけたスレンダーなイケメンダンサーのDing Dongは、周りの仲間達にとって喜びのもととなっている。

YardFlexが写真撮影とインタビューをしている間も、彼はジョークを飛ばし、仲間のダンサー達を笑わせていた。
その撮影の間の彼のジョークのいくつかをここで紹介したいと思う。

「ヘイ!(仲間達に向かって) いいか、お前達、写真を撮る時はいつも笑わなきゃ~。
笑った方がカッコいい写真が撮れるぞ」

「そうだ! ポーズを決めるのも仕事の一つなんだから、それをマスターしなきゃ!」

「ヘイ!カメラマン、携帯電話を持ってる写真を1枚頼むよ。なんたって俺の携帯は今最新の機種なんだからさ~」

さらに彼はカメラのディスプレイで自分が写った写真を1枚ずつ見ながら、
「おぉ~これはMADだ、俺はこれが気に入った! 俺のシャツはイケてるな~ これにはみんなヤラれるだろ~、
な、チキン&ビア(彼のダンスクルーのメンバーの名前)もそう思うだろ!それにしても俺のシャツはヤバいな~」

数日前のストリートダンスで突如結成されたというDing Dongのダンスクルー "RAVERS CLAVERS"の仲間達とジョークを交わしながらインタビューを受けている途中、
彼は休憩しながら語り始めた。

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(写真:DANCERの"DING DONG" & "SPIKE" @PASSA PASSA 30)

「ダンスに行った時、俺がいつも乗っている古いVAN(車)を見たエレファントマンが、
『Ding Dong!お前、何のVANに乗ってるんだ??お前たちイケてるのか?』と見下すように言ってきた。
俺はエリーを見上げ、『俺の曲はもう聴いた? エリー、君の曲はイケてるの?』って一言言ってやった。
そしてすぐにその場を立ち去った。

エレファントマンの最新のチューンの一つに、Ding DingのNO.1ヒットソング「Bad Man Forward, Bad Man Pull Up」のフレーズをパクったものがあるとDing Dongは訴えた。

「俺たち "RAVERS CLAVERS"は今年やるぜ!」

毎週日曜、夜11時から夜中の3時までの間、NANNYVILLEで行われている「GABBA SUNDAYS」でDing Dong達は踊っている。
「Gabba Sundays」のホストサウンドはCD SOUNDのDJ WHITEMAN。

●ニューダンスのSURF (WIPE OUT)

この記事で紹介しているニューダンス「Before Summer」の他に、
"Wipe Out"のリディムの曲で作られた「Surf」というDing Dongのニューダンスがある。

しかしFras CrewのShortmanの話によると、このSurfというダンスはWipe OutのShifterの曲にあわせて
彼自身が作ったダンスで、Ding Dingはそのダンスをパクったと訴えている。

2~3週間前のGabba Sundaysで、DJ WhitemanのMCによってDing DongのニューダンスのSurfが紹介されたが、
それよりもっと前の7週間前に行われたFoota Hypeのバースデーバッシュの時に、
ShortmanがShifterの曲でSurfというダンスを創ったらしい。

その後、Gabba SundaysでDing Dongを2~3回見かけたが、彼はその時Surfのダンスはしていなかったそうだ。

Shortmanは「サーフのボディボードのダンスをしていたのは俺だけだったし、どのダンスに行っても俺だけがSurfのダンスを踊っていたのに、Ding Dongがそれをパクった」と言う。

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(写真:DANCERの"DING DONG" & "MASTRO" @PASSA PASSA 30)

レポーターが、New YorkのJFK空港でDing Dongをキャッチし、その話をしたところ彼は笑うだけだった。

さらに問いただすと、Ding Dongは自分のバックの中から1冊のファイルを取り出し、1枚の新聞記事の切り抜きを見せた。
それはHard Copyの4年前の新聞記事で、Ding DongがSurfのダンスとほとんど同じ動きをしている写真が掲載されていた。

「なぜ俺がShortmanのSurfのダンスを盗まなきゃいけないんだ??俺のダンスは全部俺が創っている。
Surfのダンスはもともと何年も前に俺が創ったダンスだ。
しかもWipe outやSkettelの1つのリディムでどれだけたくさんのアーティスト達が曲を出していると思う?
Shortmanはもっと曲についての勉強が必要だな。
ボーグルが死んた後、みんなダンスに出かけなくなった。
そこで俺がキーバやみんなを誘ってまたダンスを始めさせたんだ。
それにBad Man Forward, Bad Man Pull UpもDutty Wineもまだ大流行りのダンスだぜ~
Shortmanはもっとイージーさが必要だな。
奴のダンスなんてパクりたくもないね。」
とDing Dongはレポーターに語っている。

最近のDing DongはBRONXで行われたSQUEEZEのショーでダンスパフォームをし、
その翌日にはROY WILKINS PARKで開催されたIrie Jam主催のセレブリティのサッカーマッチに参加。
そこで見事に彼がゴールを決め、2-1でチームの勝利が決まったとか。
Ding Dongはサッカーも得意らしい。

ところで、Surfのダンスは結局誰が創ったダンスだったんでしょう?
話はこれで終わり?って感じですが。
時間が解決してくれる、ということで。。。

情報:YardFlex Com.
翻訳&テキスト RUFF-CUTかずみ


2005 International Dancehall Queenの謎の死

「Dancehall Queenは皮膚病による病死だった」と医者は語るが、その真相は‥?

情報:Hawkeye from Canadian DHQ Promotor
リポート: KAVELLE ANGLIN-CHRISTIE
翻訳&テキスト:RUFF-CUT (Kazumi)

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Dancehall Queenの死

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(写真:Shanique Taylor@International DHQ 2005)

昨年モベイで開催されたRED LABEL WINEの2005 Dancehall Queen Contestで優勝しクィーンになった「シャニーク・テイラー」は急性の皮膚病のために死亡したと医者は語る。

彼女が朽ち果てる最後の時期は、相当の痛みに苦しんでいたそうだ。

テイラーの家族の話によると、彼女の死は黒魔術によるものだと主張したが、
彼女の担当医だった医者の話によると、【とうそう】(※伝染病のひとつ)だと語っている。

彼女の継父にあたるアルヴィンマーティン氏の話によると
「テイラーは7月30日にモベイで開催したDancehall Queen Contestで優勝し、
その後11月にカナダで2つのショー(Canadian Dancehall Queen)をこなして帰国した。

ところが同11月の最後の週あたりに、テイラーが突然自分の足の異変を訴え始めた。
見ると彼女の足の指の間に若干のにきびのような吹き出物ができていた。
私たちは心配になってテイラーを病院に連れていった。
ところが医者はこれは水虫だと言った。
しかし指の間から出ている膿や症状を見て、私たちはこれが水虫ではないと判断した。」

身体中の痛み

テイラーの父マーティンは語り続けた。
「12月の第2週目になって、私たちはもう一度医者を訪ね、それからずっと通い続けた。
しかしテイラーの容態は悪化する一方だった。それは身体全体に広がり始め、どんどんひどくなった。
テイラーの口は小麦粉で揚げたフリッターのようにふくれあがり、しばらくすると今度は身体中に痛みを訴え始めた。
少しでも早く良くなるようにと、私たちは頻繁に医者を訪ねて、検査をし続けた。」

「私たちはテイラーにあらゆる検査を受けさせた。
エイズの検査もしたが結果は陰性だった。
医者は、テイラーの一体どこが悪いのか見つけることができない、と言ったが、彼女の容態は悪化していくばかりだった。
その時の話はしたくないほど最悪な状況だった。私たちはストレスを感じた。」

「それから34ヶ月後、テイラーはあっけなく朽ち絶えた。
もしあのとき、私の娘テイラーの姿を見たら、あなた方には信じられないことだろう。
身体の腐敗した部分は切り取られ、私たちはテイラーの身体にJeyesを使い始めなければならなかった。
その部分にはハエとウジが集り、1日に何度も消毒してきれいにしてもまったく無意味だった‥」

医者は言った。「さもなければ‥」

ジャマイカの新聞STAR紙が匿名希望の数人の医者から話を聞いたところ、
テイラーがエイズの検査をした際、彼女には痘瘡【とうそう】(※伝染病のひとつ)の可能性があることが判明したと言う。
「とうそう」とは、皮膚に吹き出物やイボなどのひどい障害などが出る病気だと医者は説明した。

「この病気は遺伝ではない。死亡率は低いので、医者によっては治癒もできると言われる。
もしあなた方があの時テイラーがどんなにひどい状態だったかを知ったら、
近い将来死に至るということに疑う余地もないだろう。

彼女の肋骨には巨大な数のウィルスがはびこっていた。
痛がる箇所も多かった。

初めて私がテイラーと対面した時、彼女の目と口は開くことが出来なかった。
これは非常に危険で深刻な状態だ」と医者の一人が言った。

テイラーの死が「黒魔術」によるものであるという家族の意見に、医者はまったく耳を貸さなかった。

「こういうケースの場合、誰にもどうすることも出来ない。深刻な状態だ。」
最終的に皮膚科の専門医にテイラーを任せることにした。

その皮膚科の専門医は、病院の許可なしで、コメントをする気はないと申し出たが、
「この病気は薬やドラッグなどの使用によっても引き起こすことが可能である」と語った。

これによって、何者かが悪意を持ってテイラーに何かを飲ませた、と主張する家族の意見に少なからず信用が高まった。

「海外には無数のドラッグがあり、使用の方法によっては、このようなケースが現れる場合もある。
だがテイラーがそうだったと言う気はない。」と担当医だった皮膚科の専門医は語った。

父・マーティン自身による調査

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(写真:Shanique Taylor@International DHQ 2005)

テイラーの父、マーティン自身がこのケースについて調査したところ、
今年の1月と2月にテイラーが黒魔術師のところを訪ね、
そこで誰かに何かを飲まされた、ということを確信した。

「人に危害を与えるような場所に私は最初行かなかった。
しかし、このことを明白にしたかった。
私にはすべてを知る必要がある。
だから私は黒魔術師の場所を訪ねた。
そこで私が直接聞いた話は、誰かが儀式の中でテイラーに何か食べ物か飲み物を与えていた、という事実だった。」

「私たちがテイラーを病院に連れていった時には、もう手遅れの状態だった。
テイラー自身も自分の人生を脅かす何者かが近づいていると確信していた。
彼女に何かをした者には報酬が与えられたはずだ。」

テイラーの母、ブロッサム・マーティンが言った。
「私は非常に熱心なクリスチャンです。シャニーク(テイラー)もその事をよく知っています。」
そしてシャニークの最後の言葉を思い出して、彼女の声は震え出した。

テイラーは死ぬ前に言った。
「マミー、マミーに会いに教会に行くわ。
あの人達が私に何をしたかわかっても、何もしないで‥。
あなた達の手を汚してほしくないの‥ マミー‥
あの人達が私に何をしたかわかっても‥」

「私たちには、テイラーがただの病気ではないことはわかっていた。
けれども医者は皮膚の病気という結論しか出してくれなかった。
だけど、皮膚の病気だけでは、こんなに早く死に至ることはない。
テイラーの皮膚はどんどん溶けているようだった。
言葉ではうまく説明できないわ。
テイラーの顔は焼けただれた状態で、彼女の胸も首も足もすべてセメントで覆われたようだった。
鼻から出血し始め、腐った足からはウジが出て来て‥ 」
とマーティン夫人は泣き始めた。

夢にしがみつくこと

夫人はつい取り乱してしまったと謝った。
「医者はテイラーの白血球がバラバラになり続けていると説明していたわ。
どうしたらいいのかわからないとも言ってた。
あらゆる検査をしても、どれも陰性という結果だった。
陽性という結果は何ひとつなかったの。

テイラーの夢の一つに、婦人科医になるという夢があった。
彼女には一生ダンスを続けていく意志はなかった。
なのに彼ら(彼女ら)はテイラーの人生をめちゃくちゃにしたのよ。

今の私には、彼女の夢にしがみつくこと以外、何も残ってないの。
結局テイラーは2月の末から4月までの間、ずっと入院して苦しみながら死んでいったわ‥」

夫人の話によると、テイラーの死後、娘を毒殺したという犯人が自供し始めたと言うことだった。
また、テイラーの友人の一人が「シャニークの服を盗んだのは私じゃない」とマーティン夫人に話したそうだ。
夫人は彼らにテイラーの服を返すよう指示した。

「私たちが与えた食事から娘が病気になることは決してないと断言出来るわ。
彼らが娘にやったことは度が過ぎていた。そしてテイラーは死んでしまったの。
テイラーの身に何が起こったのか知ったときの彼らは、誰一人として私の顔をまともに見ることは出来なかった。

今となって、この事件のことが少しずつ浮き彫りになってきた。
「5月21日はテイラーの21歳の誕生日をお祝いするの。そうでしょう?」とマーティン夫人は遠い目で私たちに問いかけていた。

今年の7月までクィーンはいない

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テイラーのQueenとしての時代はあまりに短かった。
彼女と一緒に仕事をした者達の話によるとテイラーは他のクィーンとはちょっと違ったタイプだったと語っている。

またDancehall Queenのリーダー、Brian "Big Head" Martinことビッグヘッド氏は、
来る7月29日にモベイのピア1で開催される今年のコンペティションまでの間、テイラーに代わるクィーンはいないと語っている。

「今年のコンペティションまであと23ヶ月あるから、通常なら次点者がクィーンとなるが、
今回の場合はそれがベストなやり方だとは思えない。

もちろん 2005年のDancehall Queen、テイラーへの尊敬の気持ちもあるし、テイラーに代わるクィーンは今のところ考えていない。

しかし、今年のクィーンへの冠の授与は昨年の次点候補者だったダンサーに託すつもりだ。
また今年のコンペティションではテイラーの追悼式も行う」とビッグヘッド氏は語った。

「今まで9年間続けている、このコンペティションの中で、テイラーのようなクィーンに出会ったことはなかった。
彼女は他人との仕事もスムーズにこなしていた。
ステージの上と、そうでない時の彼女はまったく別人のような印象だった。
テイラーはいろんな場所に営業に行ったが、どこに行っても人々から好かれた。
なぜなら彼女は勤労を善とする価値観を持っていたから。
テイラーの態度もすばらしかった。
そして彼女はチームとしても活躍していた。」

「今までのDancehall Queenのほとんどは、特定のバックグラウンドから出てきたダンサーであり、
彼女達はいつでも仲間を敵に戦っている。
しかしシャニークは、そのようなヴァイブスは発していなかった‥

私はシャニークが世界を又にかけ、あちこちのツアーに出かけ、パフォーマンスをする機会を得たことをうれしく思っている。 」とビッグヘッド氏は語った。

「今回の出来事は非常に悲しいことだ。そして父親は彼女の死を見たのだ。
この場を借りてインターナショナルダンスホールクィーンに特別な敬意を‥」

来る2006年7月2日、カナダではシャニークの命を祝福するための特別な企画のもとで、「International Dancehall Queen」が開催される予定。
このコンペティションに参加したいという方はメールにて募集中。

(Lady-K)


The Death Of Bogle - ボーグルの死

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2005年最後のニュースはやはりBogleで締めたいと思う。

Black Roses Crewのリーダーとして知られるジャマイカのダンサー Gerald 'Bogle' Levyが、2005年1月20日の夜中の2時過ぎに何者かに射殺されて死亡したという悲報が届いた時、それはあまりにも急すぎてしばらく呆然としていた。

かなりショックをうけてしまい、海外のニュース記事を読んでも、ボーグルのラストダンスのDVDを見ても、もうBogleがいないということが私には信じられなかった。

本当のことが知りたいけど、知るのが怖いというのも正直あった。
そして今だに真相がはっきりしない中、もうすぐ1年が過ぎようとしている。
仕事柄、ジャマイカのビデオと長年の付き合いがある私にとって、Bogleの死はかなり衝撃的なことであり、今年一番の印象に残る出来事だった。

そして 来年の1月20日はBogleの1周忌。
この日が来る前にあらためてBogleの死の真相についての記事を紹介しようと思う。

●ボーグルの突然の死●

取材班がBogleの母親に電話をして事件についての真相を聞いてみたところ、
息子のBogleはダンスに行った帰りの途中のHalfway Tree Roadの近くのガソリンスタンドで
バイクに乗った二人組の男に射殺されたと言う。その時BogleはVan(車)の中にいたらしい。
母親の話だとBogleは頭の全後部に発砲されていたそうだ。

Dancehallのシーンの中で、たくさんの有名なダンスがあるのは、まさにBogleがいたから。

彼が過去に創った有名なダンスに、Urkle、World Dance、Log On、Zip It Up、Pop It、Row Like a Boat‥ などの様々なダンスがあるが、中でも人気なのは1991年の冬に創られた Bogleだ。

今までにもBuju Banton、Beenie Man、Junior Reid、Bounty Killerなどのビッグアーチスト達によって
Bogleのダンスのチューンがリリースされている。

しかしBogle自身がDeeJayとしてマイクを握ることはなかった。
なぜなら彼の人生は踊ることであり、ダンスしか考えられなかったからだ。

過去のNewsで掲載したBogleのインタビューの中で、彼はキングストンのゲットーで生まれ育ち、家は貧乏だったけど、自分を正しい道へ育ててくれた母親に、敬虔な気持ちを強く持っていると語っていた。

●ボーグルとジョンハイプ●

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そんな彼が、ライバルである男のダンサー、Jonathon "John Hype" Prendegastのことを皮肉った内容のリリックの"All Dem Deh"というタイトルの曲をレコーディングし、この曲がダンスホールのシーンでヘビープレイされるようになる。
これに対抗して、John HypeもBogleへのアンサーソングをレコーディングした。

このように双方の争いはダンスだけにとどまらず、エスカレートしていたようだ。
これに対しJohn Hypeは、Bogleとは友達でありライバルであり、決して犯罪や憎しみに発展するような関係ではなかったと断固否定している。

また最近では多数のステージで一緒にパフォーマンスしていたことも主張した。
さらに自分にはBogleを殺す理由なんて一つもないし、最近ではアトランタやニューヨーク、バミューダでも一緒のステージで盛り上げていたのに、こんなことになってしまい、深く傷ついていると語った。

Bogleが殺害された数時間後に、"John Hype" の家が放火されたため、
ジャマイカの警察は、しばらくの間 Arnett Gardens区域とその付近のコミュニティを警戒し続けた。

このことがきっかけで更に重大な事件に発展する危険性があると恐れたからである。

またJohn Hypeの家を放火したのは、Black Roses CrewのリーダーBogleの復讐を果たす連中の仕業に違いないと主張するものもいた。

●事件の真相について●

報道によると、事件が起きる数時間前の2005年1月19日水曜日、
Bogleの最後のダンスとなる、Half-Way-Treeで毎週行われているStoneLoveのSound Systemのセッション「Weddy Weddy Wednesdays」で、Bogleとその取り巻き達が男のグループ達ともめていたらしい。

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【写真:※DVD/BOGLE'S LAST DANCE "WEDDY WEDDY WEDNESDAY"】

Bogleと取り巻きの4人がWeddy Weddyを去った後、
Constant Spring Roadに向かう途中のガソリンスタンドに立ち寄ったのが2:15AM。
そこへバイクに乗った二人組の男達が近寄り、車内にいたBogle達5人に向けて銃を発砲。
Bogleは何発ものガンショットの流弾をうけ、その場で息を引き取った。

Bogleと一緒にいた取り巻き4人のうち一人は19歳の女性。
彼女は重傷を負い、すぐに病院に運ばれ手当を受け、命は助かった。
その他の3人の取り巻きも、16歳、21歳、23歳の若者達だった。

その数時間後に、12 Dillion Ave.沿いにあるJohn Hypeの家が放火。

John Hypeは長年に渡ってBogle一派と争っていたため、
Bogleの殺害とJohnの家の放火には、何か関係があるのではないか?という疑惑もあがった。

近所の目撃者の証言によると、放火は何人かのグループによる犯行らしく、
Johnの家に爆弾が投げ込まれた後、約3時間ほど建物は燃え続け、最終的には2つの建物が全焼。
少なくとも、建物の中には大人6人と子供3人はいたらしいが、全員無事だったそうだ。

消防士の話だと、建物が全焼してしまっていて、この負債の見積もりもつかないらしい。

有名なエンターテイナーダンサー、Bogleの死は、あまりにも突然すぎて
現地の音楽産業に関わっている関係者達からの反応も相当大きかった。

その関係者の一人、Shocking Vibesのディレクター、Clyde Mckenzie氏は
「この島は、才能のあるエンターテイナーの一人を失ってしまった」と語っている。

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【写真:DVD/FIRE RAMA 2K5 - BLACK ROSES VS JOHN SQUAD】

日本でも来年の1月20日に大阪のダンサーSea Childが主催する「ボーグル追悼ダンス」が開催される予定。

BOGLE関連のDVDはこちらで購入出来ます

Text: Kazumi@Ruff-Cut


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