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The Death Of Bogle - ボーグルの死

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2005年最後のニュースはやはりBogleで締めたいと思う。

Black Roses Crewのリーダーとして知られるジャマイカのダンサー Gerald 'Bogle' Levyが、2005年1月20日の夜中の2時過ぎに何者かに射殺されて死亡したという悲報が届いた時、それはあまりにも急すぎてしばらく呆然としていた。

かなりショックをうけてしまい、海外のニュース記事を読んでも、ボーグルのラストダンスのDVDを見ても、もうBogleがいないということが私には信じられなかった。

本当のことが知りたいけど、知るのが怖いというのも正直あった。
そして今だに真相がはっきりしない中、もうすぐ1年が過ぎようとしている。
仕事柄、ジャマイカのビデオと長年の付き合いがある私にとって、Bogleの死はかなり衝撃的なことであり、今年一番の印象に残る出来事だった。

そして 来年の1月20日はBogleの1周忌。
この日が来る前にあらためてBogleの死の真相についての記事を紹介しようと思う。

●ボーグルの突然の死●

取材班がBogleの母親に電話をして事件についての真相を聞いてみたところ、
息子のBogleはダンスに行った帰りの途中のHalfway Tree Roadの近くのガソリンスタンドで
バイクに乗った二人組の男に射殺されたと言う。その時BogleはVan(車)の中にいたらしい。
母親の話だとBogleは頭の全後部に発砲されていたそうだ。

Dancehallのシーンの中で、たくさんの有名なダンスがあるのは、まさにBogleがいたから。

彼が過去に創った有名なダンスに、Urkle、World Dance、Log On、Zip It Up、Pop It、Row Like a Boat‥ などの様々なダンスがあるが、中でも人気なのは1991年の冬に創られた Bogleだ。

今までにもBuju Banton、Beenie Man、Junior Reid、Bounty Killerなどのビッグアーチスト達によって
Bogleのダンスのチューンがリリースされている。

しかしBogle自身がDeeJayとしてマイクを握ることはなかった。
なぜなら彼の人生は踊ることであり、ダンスしか考えられなかったからだ。

過去のNewsで掲載したBogleのインタビューの中で、彼はキングストンのゲットーで生まれ育ち、家は貧乏だったけど、自分を正しい道へ育ててくれた母親に、敬虔な気持ちを強く持っていると語っていた。

●ボーグルとジョンハイプ●

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そんな彼が、ライバルである男のダンサー、Jonathon "John Hype" Prendegastのことを皮肉った内容のリリックの"All Dem Deh"というタイトルの曲をレコーディングし、この曲がダンスホールのシーンでヘビープレイされるようになる。
これに対抗して、John HypeもBogleへのアンサーソングをレコーディングした。

このように双方の争いはダンスだけにとどまらず、エスカレートしていたようだ。
これに対しJohn Hypeは、Bogleとは友達でありライバルであり、決して犯罪や憎しみに発展するような関係ではなかったと断固否定している。

また最近では多数のステージで一緒にパフォーマンスしていたことも主張した。
さらに自分にはBogleを殺す理由なんて一つもないし、最近ではアトランタやニューヨーク、バミューダでも一緒のステージで盛り上げていたのに、こんなことになってしまい、深く傷ついていると語った。

Bogleが殺害された数時間後に、"John Hype" の家が放火されたため、
ジャマイカの警察は、しばらくの間 Arnett Gardens区域とその付近のコミュニティを警戒し続けた。

このことがきっかけで更に重大な事件に発展する危険性があると恐れたからである。

またJohn Hypeの家を放火したのは、Black Roses CrewのリーダーBogleの復讐を果たす連中の仕業に違いないと主張するものもいた。

●事件の真相について●

報道によると、事件が起きる数時間前の2005年1月19日水曜日、
Bogleの最後のダンスとなる、Half-Way-Treeで毎週行われているStoneLoveのSound Systemのセッション「Weddy Weddy Wednesdays」で、Bogleとその取り巻き達が男のグループ達ともめていたらしい。

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【写真:※DVD/BOGLE'S LAST DANCE "WEDDY WEDDY WEDNESDAY"】

Bogleと取り巻きの4人がWeddy Weddyを去った後、
Constant Spring Roadに向かう途中のガソリンスタンドに立ち寄ったのが2:15AM。
そこへバイクに乗った二人組の男達が近寄り、車内にいたBogle達5人に向けて銃を発砲。
Bogleは何発ものガンショットの流弾をうけ、その場で息を引き取った。

Bogleと一緒にいた取り巻き4人のうち一人は19歳の女性。
彼女は重傷を負い、すぐに病院に運ばれ手当を受け、命は助かった。
その他の3人の取り巻きも、16歳、21歳、23歳の若者達だった。

その数時間後に、12 Dillion Ave.沿いにあるJohn Hypeの家が放火。

John Hypeは長年に渡ってBogle一派と争っていたため、
Bogleの殺害とJohnの家の放火には、何か関係があるのではないか?という疑惑もあがった。

近所の目撃者の証言によると、放火は何人かのグループによる犯行らしく、
Johnの家に爆弾が投げ込まれた後、約3時間ほど建物は燃え続け、最終的には2つの建物が全焼。
少なくとも、建物の中には大人6人と子供3人はいたらしいが、全員無事だったそうだ。

消防士の話だと、建物が全焼してしまっていて、この負債の見積もりもつかないらしい。

有名なエンターテイナーダンサー、Bogleの死は、あまりにも突然すぎて
現地の音楽産業に関わっている関係者達からの反応も相当大きかった。

その関係者の一人、Shocking Vibesのディレクター、Clyde Mckenzie氏は
「この島は、才能のあるエンターテイナーの一人を失ってしまった」と語っている。

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【写真:DVD/FIRE RAMA 2K5 - BLACK ROSES VS JOHN SQUAD】

日本でも来年の1月20日に大阪のダンサーSea Childが主催する「ボーグル追悼ダンス」が開催される予定。

BOGLE関連のDVDはこちらで購入出来ます

Text: Kazumi@Ruff-Cut

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