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INFORMATION

全記事をカテゴリ別に表示しました。またバックナンバーのリリックスやインタビュー、リポートなどもログ検索から簡単に探すことができるようになりました。(7/2010)
(Ruff-Cut)

記事一覧

Bounty Killerからのメッセージ

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ジャマイカのエスカレートし続ける犯罪に
"Grung God"Bounty KillerがBlackberry Messenger Broadcastを通してジャマイカにメッセージを送った。

Jamaicaよ,俺はもう一度警告する。

無職、無教育、無出席、壊れた家、片親、母なし子、父なし子、手本にできる大人がいなかったり、精神的支えになる人物がいない、
青少年センターもなければ、職業訓練所もなし。

スポーツもできなければ音楽活動もなし。

ゲットーには何にも、何にもないんだ。

その代わりに銃、ドラッグ、金を持っているドン、暴力、犯罪、圧力がある。

もし発砲するのが怖ければ、馬鹿扱いだ。

そしてこういったドンシステムを作ったのは政治家達で本来なら自分たちが一軒一軒家庭訪問をするべきなのをドンにまかせたからいけないんだ。

だから実際にはドンが犯罪を犯しているわけではなくてドンに操られている青少年らが犯罪を犯しているんだ。

だから我々がやらなくてはいけないことは8歳から12歳の子供らにも青少年プログラム、教育プログラム、スポーツや、音楽プログラムを人殺しをする代わりにやらせるべきだ。

そうだ、少年らは我々の未来だ。

お前らがドンにヤツラの世話を頼みっぱなしにするからヤツラはいつでもドンの為に死ねるんだ。

俺らがドンになって彼らを助けようじゃないか。

どうして俺がこれをやり続けていると思うんだ。

少年らを救い続けてもう数年にもなるのにまだやり続けている。

悪魔が暇そうにしている手を捜し続けているんだよ。

暇そうにしている手なんてこの国にどれぐらいあると思うか?

いい加減にしろよ、Thugzを殺すだけじゃなくてThugzになってしまう要素を殺さなくては。

「治療」をするのではなく「防止」をしよう!

GRUNG GAADがJAMAICAに物申す!「もうたくさんだ!」

“Jamaica me a warn unuh again. Unemployment, Uneducated, Unattended to, broken Homes, single Parents, Motherless, Fatherless, no Role Model or good Mentor to Emulate, no youth centers, no work shops, no sports or musical activities, no nutten in the garrisons or ghettos; then there is the guns, the drugs, the dons with the money, the violence, the crime, the peer pressure, if u not bussing it up u are a fool; and all these conditions – politicians created the dons instead has to go house to house or individually to persons him get the dons who choose who and who get a thing less headache 4 him but the dons strength is in the youths so what we must do is to start focus on the youths raging age eight to twelve get them in youth programs, educational programs, sports and muzik programs; as well as kill out all criminals from now on; yes the youths are the future and unuh leave them up to the dons to tend to and care 4 that’s why they are ready to die 4 the dons; let us be the dons and help the youths; why u think I been doing it, helping youths over years and still doing it; the devil finds favor in idle hands and how many idle hands we have in this country come on now don’t just kill out thugs but also kills out what causes youths to fall on the thug path; stop cure, let’s prevent. GRUNG GAAD A TALK JAMAICA WE TIRED!!“

(Text by Kozz fr Kingston, JA)



Beenie Man、ハイチ地震生存者のための救済を誓う

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「ワイクリフとハイチの人達に同情せずにいられないね。

ニュースでハイチの島の荒廃な状態を見て、心が動かされたよ。

ストリートには何百もの死体が積み上げられ、地震によって破壊された建物、がれきに挟まれている仲間や家族を助けようと取り組む人々、、、

それを見てオレに何か出来ることがあるなら何でもしたいと思った。」

とBeenie Manは言った。

「一刻も早くカリビアンコミュニティを組織化して、あらゆる方法で可能な限り、我々の兄弟、姉妹達が助かることを望んでいる。

さもなければ今後もっと大きい災害が今度は我々にのしかかるだろう。

学校は死体でいっぱいになり、病院は病人と瀕死の人達で溢れ、すべての通信が途絶える、、、それこそ大災害だ!」

Beenie Man(ビーニマン)とWyclef Jean(ワイクリフ)は数年前に"Love Me Now"と"Lie Detector"という曲で一緒にコラボをしたことがある。

「世界中にあるコミュニティを改善させるため、オレとワイクリフは共に情熱を燃やしてきた。
彼はいつでも実践していて、自分の国(ハイチ)の現状もしっかり目で追っていた。

今、非常に困難なハイチを彼はどうするつもりなのか、オレには想像もつかないよ。」

ビーニマンは母国ジャマイカの無法地帯のインナーシティ(スラム地区)であるCraig TownやArnett Garden、Waterhouseなどで、社会的に環境計画の先頭を立っている。

ビーニマンはワイクリフが設立した募金サイト"Yele Charity(ハイチ財団による救済募金)"にすでに募金をした。

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ハイチは西半球の中で最も貧困民も多い国と考えられていて
約900万人の住民のうち、400万人はハイチの首都ポルトープランスとその近郊に住んでいる。

今回のハイチ地震の発生地はポルトープランスからわずか10マイルだった。

また2008年にハイチは4つのハリケーンによって大きな打撃を受けている。

ハイチの平和使節であるWyclefは、2008年のハリケーン"Gustav(ガスタフ)"で被害を受けた地域のために、救済募金を集める"Yeleハイチ財団"を始めた。

ワイクリフが設立したYele Haiti【ハイチ地震救済募金】のサイトはこちら↓↓↓
http://www.yele.org/

(Text by Kazumi fr. Ruff-Cut)



Slackness/スラックネス放送禁止

先日キングストン在住のこずえちゃんから聞いた話によるとジャマイカではダガリン、ソカ、ガンネタの曲は放送禁止決定だそう。
しかも今度はクリスチャン団体がストリートダンスの廃止も訴えているとか。

2年前のサウンドのインタビューでは、ストリートダンスもジャマイカ観光の一つになっていて…なんて話だったのが懐かしい。
でもこの頃からKartel vs Mavadoの記事が多くなったな。

最近、海外のサイトで「Slackness(スラックネス)」についての記事が出ていたので読んでみたら興味深いことが書いてあった。

『ダンスホールミュージックにおけるスラックネスについてどう思う?またそれらの曲を禁止する必要があると思うか?』

●Super Catの返答:

ファイル 294-1.jpgStingが最初の発端だ。
Stingは音楽の世界におけるボクシングの試合みたいなものだ。

Maxi Priest(マキシープリスト)やBunny Wailer(バニーウェイラー)などのビッグアーティスト達もかつてはこのステージに上がり、ボトルを投げつけられたりした。
Stingはそういうスタイルなんだ。
それにDeejayクラッシュはいつでも最先端だし人気がある。

しかし本来クラッシュとは才能ある新人のアーティストを生み出すための場であり、すでに名の売れたアーティストがやり合う場所ではない。

セックスチャンネルが今後禁止になるかどうかだって?
この世に男と女しかいないのに何故セックスのことを表現してはいけないのさ。

Super Catは1991年のStingでたしかNinjamanに殺人者だとディスられたんじゃなかったかな?
このインタビューでキャットは「音楽業界でのアーティストの不名誉は絶えずあることだ」と語っている。

●Gramps Morgan(Morgan Heritageのメンバー)の返答:

スラックネスはスラックネスでしかないし、みんなに間違った影響を及ぼしてしまうと思う。

●Donovan Germaine(PentHouseのプロデューサー)の返答:

スラックネスは必要だと思う。家族を持つまともな人間ならそれを耳にしても気にならない。

●Marcia Griffithsの返答:

私はスラックネスではないわ。
もし自分がシンガーやミュージシャンだというのなら、神の教えを超えられる人でいなければいけないの。
私はいつでも聖書の言葉を引用できるシンガーでいたい。

●Mr. Perfectの返答:

ファイル 294-2.jpgその質問はいいね。

我々はもっと社会的な道徳が必要だし、
子供達の目に入るもの、耳にすることをもっとコントロールしていかなければいけないんだ。

もちろんすべてのことをコントロールするなんて無理だけどどこかでスタートさせなきゃ。

いろいろな雑誌やゲームなどを通して子供達は物事を知る。
少なくともスラックネスがマスメディアなどで取り上げられないようにするなど制限をしなければいけないだろう。
また昔のダンスホールはどうだったかを人々に想い出させる必要があるね。

そういえば昔、Little Lenny(リトルレニー)が"Gun inna Baggie"(下着の下の銃)という曲を出したとき、
ラジオでは放送出来ない内容だったから別のクリーンバージョン(道徳的にきれいな歌詞)を用意したんだ。

"Gun inna Baggie"を聴きたい人は、セッション(ダンスの現場)に足を運ばなければ耳にすることは出来なかった。

スラックネスを禁止しても、ダンスホールの世界にはたいした影響を及ばさない。
なぜなら大好きな曲がラジオで聴けなくなったリスナー達は、もっと現場に足を運ぶようになるだけのことだから。
ダンスホールミュージックは決してなくならないのさ…

…といった内容の記事だったんですが、
この先、レゲエ、ダンスホールがどのように突き進んでいくのか。
そしてダガリンのその後は?
気になりますな(^-^;

(Kazumi@Ruff-Cut)



No More Daggering!

先日ジャマイカ放送委員会でこの先ラジオ、テレビ、ケーブルなどで全てのDaggeringチューンと放送禁止用語が含まれている曲(ピー音で編集されている曲)の放送を禁止した。

この決定にダンスホールアーティスト達は「放送委員会のDancehall Musicを目の敵きにした嫌がらせ」と話している。

●Nothing better to do(他にやる事がない)

ファイル 86-1.jpgシングジェイMr Vegasからのコメントで彼はチューン「Hot Wuk」の中でDaggerinというフレーズを初めて使ったアーティストだ。

「きっと放送委員会のヤツラは暇なんだな。
今ラジオでかかっている50%以上の曲が何らかの形で編集されてる。
じゃあこの先ラジオでは一体どんな音楽が流れるっていうんだ?
国営のラジオ局でも使って「Love 102」って名前でもつけるかな。」

「彼らがやっていることは創造力を破壊する事だ。
例えばR&Bの歌詞で'I'll make love to you like you want me to'って言うのと
'Bend Ova'って言うのは同じ意味だ。
ただ単に言い方の違いで俺らはそういう風に言うってだけだ。

セックスに関して話すって事がみだらな行為へ発展させるって事では全くないし
他にもたくさんのアーティスト達がそれを証明している。
それに編集されている部分がすぐに問題に繋がるってワケでもない。

時々アーティスト達は自分達の使っている言葉がダンスではかけれるけどラジオには過激すぎるって思うときもあるんだ。
だからそれの為の編集なわけだよ」

放送委員会からの決定発表は先日行われ
この新たな方針は先週の金曜日から実施されていると話し、
この決定はDancehall musicを攻撃しているわけではなく今後更なる規制改革の為の「観察」だと話し
今後ソカやカーニバルなどの他ジャンルの音楽への適用についても視野に入れていると話した。

●It's not OK

RDXのRenegadeは公共に相応しくない音楽の放送を禁止する事は悪くないが
別ジャンルへの適用も行うべきだ、と話す。

「放送委員会からのDanceHallへの攻撃はセクシャルミュージックってだけで全てのジャンルの音楽を禁止にする事ができないからだと思う。
だけど「Daggerinチューン」。
このDancehallのスラング。

例えば'I kissed A Girl'は禁止されないだろ。

ヤツラに言わせたらパトワで表現するっていうのが駄目で英語ならOKって言うんだ。
これはジャマイカ人がジャマイカ人とジャマイカの音楽に攻撃をしているって事なんだ」

●If dem can play Candy Shop from 50 Cent then you can play Rampin' Shop
(もし50CentのCandy Shopが放送できるならRampin' Shopも放送できる)

アーティストTarrus Rileyはこの決定に賛成だ。

「アーティストは自由に自己表現ができるべき。
だけど自由に自己表現をするには自己責任をちゃんと持つべきで世の中には色んな人間がいて色んな音楽がある。
そしてアーティスト達は自由に音楽を創る。
ただ単にいくつかの音楽は公共向けじゃないって事だよ。
だけどもしDancehallがラジオで放送できないっていうならHip Hopだって放送をやめるべき」

翻訳・文:Kozz (from Kingston, JA)



KartelがMavadoを「無能」呼ばわり

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Vybz Kartelが先日のER内でのMavadoへのインタビューに対してメッセージをぶつけた。

「俺らがヤツを有名にしてやったんだ。
床屋野郎(Mavado)と曲を5曲一緒にやったんだ。
その頃Killaはヤツの事なんか気にも留めていなかった。
俺らがヤツにスター気取りをさせてやったんだ。
BMWに乗せて色んな所へ連れて行ってやったんだ。
ヤツは俺に対してバッドマインドなだけだ。
何故かってAppliance(Allianceを皮肉った言い方)で何をやろうが俺には敵わないからな。俺はいつだって努力家なんだ」

インタビュー中にKartelはMavadoの事を「Da dogface bwoy de」(あの犬面野郎)と話しついでに(MavadoがKartelの事をJerkと呼んだ事に対し)ジャークチキンを売っていたこともない、と話した。

「俺は誰の頭も刈った事ないし、ジャークチキンをやってた事もない。
テレビですごんでギャングスタぶった事もない。
俺らは生粋のジャマイカ人って事だけだ。
生粋だって事はそんな簡単に俺らの事をディスできないって事だ」

「俺が神の事を必ずしも信じているわけではない、と言った所で何も悪い事じゃない。
俺は罪人だけど、しかし男が「Gully Gadd」と自分の事を呼んだら神の名を乱用している事になる。

俺は床屋野郎に言ってやる。
自分の事をIntelligentなんて言ってる割にはI-N-T-E-L-L-I-G-E-N-Tのスペルも知らない。
自分の恥をさらす前にしっかり読み書きの勉強をしてから来るんだな。」

そして彼はこの機会を利用し彼のニュープロダクトVybz RumとDaggering Condomの宣伝を行った。

今年のStingにはMavadoとKartelの出演が決まりクラッシュとなるのではないかと注目が集まっているところだが
Stingのオーガナイザーとの話しではStingを最後に「決着」をつける事になっているようだ。

「ヤツのインタビューが俺の電話に入っていてMavadoのファンらに見せ歩いて笑い飛ばしてやってるぜ。
世界のEmpire。Kartel様が一番だ」

記事の中に出てくるERでのインタビューが下記のURLで見れます。

http://www.youtube.com/watch?v=gI-cz4M3PUQ

翻訳・文:Kozz (from Kingston, JA)



MavadoがKartelに挑戦状

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Mavadoがジャマイカローカル番組ERのインタビューでKartelに挑戦状とも言えるメッセージを語った。

インタビューの中でKartelの事を"Bad Mind"(ジャマイカの口語で妬み、嫉妬を意味する)と呼び
最近Kartelが出したチューンの中でMavadoの母親をディスしている事を指摘した。

「Kartelの母親は立派な女性だ。Kartelの母親は絶対俺のOvercomeやSo Specialとか色々な曲を絶対聴いてるはずだ。
それでいつか俺が彼女の事をディスしている歌を聴くなんて事は有って欲しくないよ。
Kartelは俺のレベルの5%にも満たないよ」

また彼はKartelについて
「ジャマイカ国外で彼の事など話題になっていない。ジャマイカ内だけだ」

そして彼の事を「ジャーキー(干し肉)」などいくつかの侮辱する発言をし
更に
「俺はシンガーであいつはDJだ。俺はあいつに何にもやらせないからな」
と話した。

記事の中に出てくるERでのインタビューが下記のURLで見れます。

http://www.youtube.com/watch?v=J0cydBHEpBI

翻訳・文:Kozz (from Kingston, JA)



Elephantmanニューアルバムもうすぐリリース

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待望のElephantmanのニューアルバムが8月14日にリリースされる。

"Let's Get Physical"というタイトルのアルバムはHip Hop、P Diddyの"Bad Boy
Records"よりリリースされる。

去年の早い時期よりElephantmanがBad Boy Labelとサインした事がニュースになり話題にされており、
2006年の後半にはリリース間近と噂されていたが
Elephantmanによるとリリースにあたりたくさんの「お役所仕事」をクリアにしなければいけなく今やっと準備が整ったとの事だ。

"Let's Get Physical"はShaggy, Rihanna, Mya, Busta Rhymes, Mario他多数のビッグアーティストとコラボレーションしている。

Five-O

アルバム収録されている最初の曲でWyclef Jeanとコラボレーションしていて
この曲のRemixがもうじき発売されそちらにはラッパーYoung JocとAssassinをフューチャリングしている。

A dancing ting

"ダンスチューンを最初に持ってきたかったんだ。
(Five O)は簡単で覚えやすいノリノリのチューンだ。
Hip Hopスタイルにするつもりはなく常にダンスホールやカリビアンを感じれる物だよ"

Elephantmanは引き続きダンスホールアーティストである、と語っている。

"今でもたくさんのリディムで歌ってるよ。
場所にこだわらずに島の外だって中だって自分に出来ることをこなしているんだ。
ジャマイカを代表できるように素晴らしい音楽をやっていくよ”
とはいえElephantmanが外国のレーベルと契約をした事に不満がるファンもいる。

あるファンは
"ダンスホールは変わっていってるんだ。最後にエリが出した曲はいつだよ?
今はMungaやMavadoその他新しいアーティスト達がダンスホールを仕切ってるんだぜ。

Bad Boyはエリを冴えなくさせたと思うよ。
だってアルバムは海外(アメリカ)向けに作られているんだろう?”

エナジーゴッドは楽観的に受け止めており、新たな助言者P Diddyより色々学んでいるようだ。

"いいアルバムだ。絶対気に入るから楽しみに待っていてくれよ"
とElephantmanは語る。

(翻訳:Kozz)



Munga Honorable伝

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雄弁でストリートを鋭く歌うダンスホールDJ Munga Honorableがハードコアなライムを爆発させる。

本名Damian Rhoden

St MaryのIslingtonという町で生まれた彼は18歳の時にRed Label Wine Superstar Competitionに出場し
オリジナルソング"Who Drink Out the Red Label Wine"を歌いこの世界に入った。

過去にはSt Maryハイスクールに通っていたこともあったが、
ストリートでHustling(ホスリング=小銭を稼ぎながら生き延びる)をし続けてていた事もあった。
しかしそのコンテストに出場して以来、そこへ戻ることはなかった。

Mungaは彼の柔軟なスタイルを磨き続け"Fireman"Capletonのサポートアクトを続けソロでも活躍するようになった。

明朗なラップスタイルにコンシャスネスを融合させ"ギャングスタ・ラス"のイメージでヒットソングの"No Bad Like I"を掲げ
今までにないスタイルでミュージックビジネスに突入してきた。

そしてこの"No Bad Like I"はモンスターヒットを飛ばし、島中からアメリカ東海岸、カリビアンまでを沸かせ
彼の強烈でインパクトの強いパフォーマンスはたくさんのファンを魅了した。

Mungaが、ケイプルトンのツアーに一緒に参加したのは2001年から。

小さな島から始まり2002年にはU.Sツアーに回った。

「The Prophet(ケイプルトン)は俺の一番の師匠だ。
パフォーマンスのやり方、人にどういう風に自分のイメージを伝えるかって事や声やボーカルについてなど教わった。
俺は彼のプレゼンテーション力を推薦するよ」

David HouseとDon

Corleoneで仕事をするようになってからが彼のターニングポイントとなった。

この二つの会社のマネージャーのガイダンスにより、Mungaは幅広いレゲエのリディム
(High Atitude, Sweat, Heavenly, Untouchable, Operation Blaxx, Full Clip, Seizure, Billback, 12 Gauge, Soapなど)
で留まる事のないシングルを出すようになった。

彼の決まり文句 "Yes!Yes!"

ファイル 181-2.jpg彼は自分の存在を全ての歌で証明する。
それがギャングスタバイブスやコンシャスムードの時にでもだ。

彼は自身の事を"Gangsta Ras"と呼ぶが、ギャングスタの見た目でダンスホールシーンで有名になり
コンシャスなリリックスでラスタファリアンでい続けることを融合させる。

彼が言う"What you see is what you get, which is simply Munga at his best
(見ているものが全てだ、それはMungaの最高の部分だって事だよ)"

彼のヒットシングル"Bad From Wi Born"を2006年にリリースして以来、ステージショウには欠かせない存在となった。

その他"Flippin Rhymes" "I Came To Take My Place" "Not At All" "Earthquake"などの曲全てが
ダンスやラジオなどでヘビーローテーションされるようになった。

ファーストアルバムを製作中だが最高の物ができると語っている。

"どこかをマーケットのトップに持って行きたいんだ。視野を広げ、若者達が活躍できるような場所を"

Mungaの大ヒットチューン「Bad From Mi Born」のリリックスと簡単な翻訳が LYRICSのページ でチェックできます



異例の記者会見でMOVADOとKARTELの争いが終止符

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長い間論争を起こしていたダンスホール・アーティストのVYBZ KARTELとMOVADOが、
昨日(2月28日)ペガサスホテルで行なわれた記者会見で、二人の争いに終止符を打った。

報道されたところによると、RE TVのキーマニ・ロビンソン氏と、
この記者会見の計画を立てたDCPマーク・シールズ氏が立ち会いのもとで二人は事前に個人的なミーティングを行なったそうだ。

昨日のインタビューで、マーク・シールド氏は語った。

「私とRE TVのキーマニ・ロビンソンは、この二人のアーティストの論争について、議論しあったんだ。
このままではファンや取り巻きの間で起きているリリック論争が犯罪に発展してしまうってね・・・」

「私とキーマニはこの問題について二人で協力しあって解決していこうと話し合った。
ポジティブでいるための音楽と芸術のためにね。
ちょうど二人のアーティスト達の論争も少し落ち着いた様子だったから、私たちはカーテルとモバドと一緒にミーティングすることに決めた。
もちろん両者とも来てくれた。その結果、公開ミーティングを行なうことになったのさ」

「実際のところ、二人とも和解するのをためらったので、私もキーマニも驚いた。
私たちは両者のファンの間で何が起きているのかを説明したんだ」

昨日の記者会見で、両アーティストは争議の調停をし、彼らの間で和解する意思があることを示した。

しかし、ファンと取り巻きの間で起きているリリック論争が暴力に発展していることについての質問が、両アーティストに一気に向けられた。

カーテルとモバドはファンに対して謝罪をし、さらに暴力を起こす道具として、自分たちのリリックを使うのをやめるよう訴えた。

カーテルは言った。
「俺自身もモバドも、お互いを批判する曲を歌い、リリックを書いただけ。
なぜならそれは音楽であり、アーティストはクリエイティブでなければいけないからさ」

「ファン達は、俺とモバドが実際に争って撃ち合ったところを見たわけでも聞いたわけでもない。
それに俺は今日モバドと会うためにここに来た。
今、俺はモバドの左側に、モバドは俺の右側にいる」

「俺たちはリリックでの論争をしていただけで、暴力的な争いは起こしていない。
俺らのために仲間や敵を暴力に巻き込むような歌もうたっちゃいない。
今日俺たちがここにいるのは、和解の進歩があったってことを見せしめるためさ」

またMOVADOはこの件について、次のようにコメントをしている。

「和解したのは本当のことさ。そして俺が "Real Mckoy"や"Gangsta fi Life"で歌っていることもすべて本当のこと。
俺たちが一致団結したのも本当。過去の出来事も本当さ。BLESS.」

ALLIANCEと今後リンクしていくことに期待していいのか?とカーテルに尋ねてみたところ、次のような返事が返ってきた。

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「"ALLIANCE"に今後戻ることはないね。
"ALLIANCE"は"ALLIANCE"で活動しているし、俺は俺で"PORTMORE EMPIRE"っていう今ボスしまくってる若手アーティスト集団を抱えている。

俺とボウンティは今までステージで争ったことなど一度もない。
だからモバドともこうやって和解した。
俺たちはステージで争いを起こすようなことはしないよ」

しかしこのような記者会見があっても、大半のメディアは二人の和解を信じなかった。

DCPマーク・シールド氏に向けられた質問のほとんどは、この記者会見は二人の本心ではなく、単なるジェスチャーなのではないか?ということだった。

その質問に彼はこう答えた。

「そのとおりだ。二人が和解したのを見たファン達が、今までの暴力行為に対し非難するようになってくれればいいのさ。それが本当の目的なんだから。」

次に私たちは、
「この記者会見によって、二人のアーティストの宣伝効果を妨げることになったら?
・・あなたはどう思う?」
とマークに質問した。

「もしそうなったら、たぶん動揺してしまうだろうね。そしてこのことを引きずるだろう。
だが、これは私とキーマニで決めたことだから、後悔はしない。
しかし暴力を止めるんだから、よい宣伝になるはずだ。すばらしいことだ。何の問題も抱えていない 」

そして昨日、私たちが二人のアーティストと直接話をしたところ、
彼らは「ファンのみんなには、二人の新しいコラボを期待してほしい。このことがみんなに伝えられてうれしいよ」と語った。

情報:YARDFLEX



BAD GAL"CECILE"が2007年、ニュールックと音で勝負!

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バッドギャル・セシールが2007年、ニュールックとサウンドを取り入れた新しいスタイルで活動を開始する。

カリフォルニアのロングビーチで行なわれた26周年の"ラガマフィン・フェスティバル"からちょうど帰国したばかりのセシールがインタビューで語った。

「ローカル(ジャマイカ)の人達は、私のことをしばらく見ていないってきっと思ってるわね。
実際、海外でたくさんの仕事とたくさんのコラボをしてたの。」

セシールの最新のビデオ「TAKE IT OFF」では、ロンドンの"ABOOD MUSIC"のアーティスト"SMUJII"が一緒に出演。
また3月に "EMI LATINO(ラテン)"の"DANGER ZONE LATINO LEBEL" からリリースされる「MATADORE」というアルバムでは、
ジャマイカのアーティストとレゲトンのアーティストが一緒に出演している。
このアルバムで、唯一のジャマイカの女性アーティストであるセシールの最高の出来となった2曲のコラボレーション・ソングでは
"FRENCH UNIVERSAL"のレコーディングアーティスト"LOAD KOSSITY"と一緒に"BOUNTY KILLER"が出演している。

●アルバムについて

セシールはまだ独自のアルバムをリリースしたことはないが、
LADY SAWとSEAN PAULのアルバムの中に彼女の曲が数曲フューチャーされている。
しかし、2007年には日本とアメリカに向けて初のアルバムをリリースするため、今セシールはそれの制作活動に取り組んでいる。

CORDEL "SKATTA" BURRELらのプロデュースによる「TALK TALK」が収録された
日本向けのデビューアルバム制作の最後の仕上げに取りかかっている彼女から話を聞くことが出来た。
(※「TALK TALK」は、昨年DANGER ZONE レーベルからリリースされたWIPE OUTオケの「GOODY」に似た曲)

セシールは、次にアメリカに向けてリリースするアルバムの中のいくつかの曲は、作り直す予定だと語る。

「もっともっとグレードアップするために、今まで歌ったダンスホールの曲すべてをアルバムに取り入れるつもりよ。
だって、ほとんどの曲はまだみんなに知られていないもの。。。
ジャマイカでは古い曲になるかもしれないけど、アメリカ市場ではどれも新しいものなの。
今はヨーロッパ向けのアルバムも制作中よ。」

「ちょうどジャマイカに戻ってきたばかりで、今はいくつかの現地のプロダクションと一緒に仕事をしてるわ。
DANGER ZONEレーベルから出る"JAMDOWN"っていう新しいリディムがあるんだけど、
その"JAMDOWN"と"WAITING"っていうリディムを使って、新しい曲を2曲ばかり製作している最中なの。」

「"JAMDOWN"はジャマイカに向けて作った曲よ。
私はね、自分の国について曲を書いたり制作したりしたことは今までに一度もないの。
至る所では、いつもみんなに聞かれるわ。
『 何故あなたはジャマイカに住んでいるの?』『犯罪が絶えない危険なところなんでしょう?』ってね‥。
だけどね、私は犯罪や暴力のことじゃなく、良い部分のジャマイカをみんなに伝えていくつもりよ。」

セシールは、洗練された高級な女性のセシールに変貌していた。

2007年は新しい音に合わせて、新流行のスタイルを取り入れていきたいと説明するセシールは、
ビジネスの面でも成長し、また外見的にも完成された女性に成長したように見える。

セシールの新しい曲を聴いたら、きっとみんなが関心を持つであろう。
なぜならその曲はHIPHOPとROCKのMIXに合わせ、ダンスホールがMIXされた新しいスタイルだからだ。

彼女がシーンに初めて登場した時、ただ歌うだけのアーティストだった。
だが、2007年には、革命をもたらす新しいアーティストに変わろうとしている。

セシールの新しい曲、"WICKEDEST TIME A WEN DI RAIN START FALL"のリミックスバージョンは、
アーティストの"HITLIST"とのコラボレーションソングで、これのビデオシューティングも行なっているので
みんなの耳に届くのも近いだろう。

情報&写真:YARDFLEX



SANCHEZがロンドンで毒殺!?

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レゲエシンガーのサンチェス、本名アンソニー・ジャクソンが、
最近イギリスのロンドンでのショーに出演した後に毒殺されたと報道された。

新聞記者であり、サンチェスのマーケティングコンサルタントであるヴォニー・マガウアン・アースコットの話によると、
そのシンガー(サンチェス)にとって、それは臨死体験だったという。

「私たちは、先週の日曜日にハマー・スミス・アポロ・シアターでのショーを終え、
ちょうどロンドンから戻ってきたところよ。
サンチェスはフレディ.マグレガーとザ・ミレニアムバンドとクロニックと一緒にショーをしたの。
彼らは約5000人の人達の前でプレイをし、それはサンチェスにとって最高のパフォーマンスだったわ。」
とマガウアン・アスコットは言った。

彼女は続けた。

「ショーが終わった後、私たちはバックステージにいたの。
アーティスト達にはそれぞれ個室のドレッシングルームが用意されていて、簡単な食事と飲み物が用意されたわ。
だけど、サンチェスは普段、用意された飲食物は一切口にしない人なの。
ところが、誰かが彼に飲み物を渡したらしいんだけど、どうやらカップがすり変えられて、彼は毒殺されたらしい。」

マガウアン・アスコットは説明した。

「彼がホテルに戻った後、何人かのファン達がホテルに来ていたんだけど、彼はとても疲れているって不満を言ってて‥
いつもの彼らしくなかった。
30分くらいファンの子達にサインをしてあげてたわ。
それから約1時間後に、彼が私の部屋に電話をかけてきて、すごく気分が悪いって言ったの。
私が急いで彼の元へ駆けつけた時には、わずかな脈拍しかなかった。彼はほとんど死んでいる状態だったの。」

●心臓発作のような症状

「彼はおよそ15時間の集中治療を行なった。彼の症状はほとんど心臓発作だった。
そして、彼が何か飲食物を口に入れたのが原因だと分かったの。」

奇跡的な回復をし、現在ジャマイカで休養しているサンチェスは、つらかった出来事から神の恩恵を思い起こしていると語る。

サンチェスは電話での短いインタビューの中で
「もう一度生き返らせてくれた神にとても感謝している。
同じ仕事仲間達に伝えたいのは、自分に近づいてくる人間には気をつけろってことだ。
あれは本当に致命的な出来事だった」
と答えた。

マガウアン・アスコットは続けた。

「それは強盗未遂に見られる事件だった。
なぜなら何人かの関係者達は、彼がアフターパーティに出席することを望んでいたからよ。
でも彼はアフターパーティーには行きたがらなかった。彼らはホテルに待機していたの。

あれは強盗を起こすための企みだったとしか考えられないわ。
だって、私たちが病院から戻ってきた時、ホテルの部屋がくまなく荒らされていたからよ。
私たちは何とか彼の貴重品を守ることは出来た。
それに彼はほんのわすかな現金はあったけど、彼自身は持っていなかったの。」

「このことは海外に出てショーを行なうすべてのアーティスト達に警告として伝えなければいけないことだわ。
誰がバックステージで一緒なのか?そして誰が滞在先のホテルを知っているか?などの注意が必要ね。」

今週土曜に、キングスハウスにあるシンフォニーでのパフォームを控えているサンチェスは、
そこでも十分な警戒をするために「完全フライトで行くつもり」と語っている。

(サンチェスが生きていてよかった~・・)

情報:Jamaica Star
(Lady-K)



偉大なるROBERT NESTA MARLEYへの敬意

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毎年2月6日は、偉大なるRobert Nesta Marley(ロバートネスタマーリー)を追悼して、世界中で祝賀と賛辞を祝う。
1945年のこの日に生まれ、36才で脅威的なガンに屈し、1981年5月11日、あまりに早すぎる命を奪われた。

ボブマーリーはジャマイカでメリット勲位を含むいくつかの賞賛を誉め称えられ、
世界中のファンによってキング オブ レゲエミュージックの称号を得た。

若かったボブマーリーがとてつもない芸術的成功を得るまでには、
セント・アンズのナイン・マイルズとトレンチタウンというインナーシティでの非常に卑しい生い立ちが始まりであり
それが彼のパワフルな力となっていた。

世界中の人達にもたらすボブマーリーの説得力のある革命的な考え方は長い間生き続けている。

1979年、ヨーロッパでのインタビューにおいて、
マーリーは核兵器や戦争への反対、制度をくつがえすための嘘の事実、
また核兵器を作り出した者達の計画や改悪があることなどを強く語った。

「科学者達は私が言っていることにはまったく耳を傾けず、いまだに兵器の研究ばかりしている。
しかし、彼らが永久に正しいものを作り出さず、人々を殺すための兵器を作り続けるならば、
彼らもその兵器と一緒に破滅することになるだろう 」
とMARLEYは意見を述べた。

彼は
「貧困者達は決して忘れられることはない、そして高潔な人間の予言は決して滅びないのだ」と続けて語った。

ボブマーリーは、ラスタファリの精神的な哲学を世界中の人達に受け入れてもらうため、
主に彼の音楽を通じてその教えをもたらした。

「私は何の宗教にも属していない。
ラスタとはライフなのだ - 私は私である…私はラスタマンだ。」

ボブは、かつてインタビュアーに宣言したことがあった。

平和と愛と真実のメッセージは、ボブの心臓の鼓動から来るものであり、
彼にとってこれらのメッセージは世界に開かれた成功への扉でもあった、と‥

そして1964年、ジャマイカの音楽シーンに最初の大きな衝撃を与えたのは、
ボブマーリー、ピータートッシュとバニーリヴィングストンからなるウェイラーズのメンバーだった。

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※写真は1967年頃のウェイラーズ三人衆
(写真:REGGAE BLOODLINES/株式会社ブルース・インターアクションズ)

ウェイラーズの革命的な音により、今までのジャマイカンミュージックの歴史を燃やした最初のシングルは
"Simmer Down" "Soul Rebel" そして "400 Years"になる。

同様に70年初期に出したデビューアルバム"Burnin" と "Catch A Fire"は
ウェイラーズの注目を集めることとなった。

しばらくボブマーリーはリー"スクラッチ"ペリーと一緒に活動をした。

後の1969年頃、海外の任務を終えジャマイカに帰国した友人のサッカー選手のスター、アラン"スキリー"コールと再会。
グループを再編成した。

「10代の前半から我々はサッカーの練習で会っていたから、心からのフレンドシップをとれた。
そして緊密な繋がりを持っていったんだ。この関係だけは、本当のリレーションシップといえるだろう」

我々は、兄弟よりも近かった‥
我々は、一つの血で繋がっていたんだ。

スキリーが説明した。
「彼らはタフゴング レコードをつくり、そこからリリースをし続けたんだ。」

「それからアイランドレコードがやって来た」

スキリーにとって、ステージ裏でのボブへの精力的なサポートは大きな喜びであった。
計り知れないほど貴重なアドバイスの提供者だったスキリーはボブに高く評価されていた。

それは、お互いに専念したサッカーに対する愛情の共有性だったのかもしれない。

スキリーとボブが息がぴったり合っていたという行動指針なのか、または二人とも似たような価値観を持っていたからかもしれない。
どっちにしても、ボブの最後の日、彼らの友情関係がもっと強くなったことだけは間違いなかった。

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※写真はアラン"スキリー"コール(前列中央)率いるサッカーチーム、ザ・ハウス・オブ・ドレッド
(写真:REGGAE BLOODLINES/株式会社ブルース・インターアクションズ)

肉体的に、そして情緒の心の支えとなり、ボブから離れなかったスキリーは、
終局の日々の中で、黒色腫(しゅ)と言う命を奪う恐ろしい皮膚癌と戦うボブについて強く語った。

それは、ボブがサッカーをしていた少年時代の1970年に始まった。

ある日、彼は2週間の休養が必要となるほど、ひどい反則のタックルを受けた。

1977年、再び病気が再発し、ボブの怪我は、最も悪性の皮膚がんの1つ、致命的な黒色腫(しゅ) だと診断された。

スキリーは、ボブが足の爪を剥がさなければいけなかったこと、厳しいダイエットが必要だったことなど、彼の治療と副作用について語った。

ボブの病気による、ステージでの衝撃的な徴候が起きた時のことを、スキリーは続けて話した。

ファイル 193-5.jpg「ボブがセントラルパークで倒れたとき、彼は私の手の中にいた...
彼が回復することを望み、あらゆる時でも彼とずっと一緒にいた。」

当時、ボブが受けていた化学療法は、結果的に有益なことより有害なことの方が多いように思えた。
そのため、ボブはもっと新しくてより自然療法を求め、ドイツに旅立ったのだと説明した。

兄弟とドイツに旅立った時、スキリーだけでなくボブの周りの人達すべてが愕然としたことが起きた。
それはボブの髪の毛が抜け落ちた時だった‥とスキルは語った。

逃れられないことに立ち向かうということは、厳しい敗北のようだった。
そして、ボブとウェイラーズによって作られた多数の遺作は慰めを残した。

スキリーは兄弟を失った。
1981年の運命づけられた日・・・
セデラブッカー、ボブの母親、息子とリタマーリー、ボブのベイビーマザー達と彼の子供達は、心の友と父親を失ってしまった。

しかし、ボブの誕生日が2月6日であるにせよ「ナチュラル・ミスティック」の歌のように、
ボブのメッセージにある"否定できない真実"は、我々の世界に絶えず伝えられている。

それは、平和と愛と調和を流入することが極度に必要なのだと語っている‥

BOB MARLEYが今までに授与された、多数の賞のリストは下記のとおり。

▼1976年: その年のベストバンド賞(ローリングストーン)
▼1978年6月:国連よりサードワールドの平和のメダルを授与
▼1981年2月:ジャマイカで3番目に高い名誉(ジャマイカのメリット勲位)を授与
▼1994年3月:ロックンロール栄誉の殿堂入り
▼1999年:20世紀ベストアルバム賞「Exodus」(タイムマガジン)
▼2001年2月:名声のハリウッドウォーク・スター賞
▼2001年2月:グラミー・ライフタイム・達成賞授与
▼2004年:ローリングストーンマガジンの100人のグレイテストアーティスト達の中から11位にランクイン
▼2005年:死後に出版された作品の達成賞
▼2005年:BBCより「ONE LOVE」がミレニアムソングに命名
▼2005年:BBCの世論調査により、最も偉大な作詞家の一人として投票獲得

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BOB MARLEY リリックのページはこちら!

情報:YARDFLEX 写真:REGGAE BLOODLINES/株式会社ブルース・インターアクションズ
翻訳&テキスト:RUFF-CUTかずみ



VYBZ KARTEL - MOVADOを撃ったことを全面否定

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日曜日の夜、ダンスホールアーティストのVYBZ KARTEL(本名 ADIJAH PALMER)が、
CASSAVA PIECEで、MOVADOとその取り巻きに向けて銃撃したという告発について、カーテルは全面否定している。

カーテルはその日、PORTMOREのWATERFORDで開催された"サプライズ バースデーパーティ"(カーテルに内緒で計画された彼の誕生会)に出席していた。

「俺はその事件のあった日、約400人もの人達と一緒に、サプライズ バースデーパーティに出席していた。
人気アーティストと一緒に、俺のBMWに乗って、有名な場所に行ってたんだ。」

この件はカーテルのキャリアを妨害し続けている"ALLIANCE"の計画的な陰謀であると彼は訴えた。

「ヤツらが俺の名前を犯人に挙げているって聞いた時、またいつものやり方だと驚きもしなかった。
実際、奴らとはリリックワーがずっと起きているが、あいつらの中傷は音楽の領域を超えている。
これは、俺の発言に対して、俺を陥れるためのALLIANCEの陰謀だよ」
とカーテルは言った。

しかしダンスホールアーティストのMOVADO(本名 DAVID BROOKS)は、カーテルとはまったく違うことを語っている。

今回の銃撃事件の関与にカーテルが直接関わっていると彼を非難しているのだ。

「PATRICIA (ADIJAH) PALMER(カーテルの本名)は俺たちのコミュニティにやって来て、車で通り過ぎた。
その時にヤツが撃った弾が、コミュニティの仲間の足に擦り、傷を負わした。
もし本物のギャングが撃ってたとしたら、はずすわけがない。
ST. ANDREWのCASSAVA PIECEで起こった事件のことを言ってるんだ 」
とMOVADOは言った。

●ブリーチした肌の顔を目撃した!

警察は、午後8:30頃、CASSAVA PIECEのガリーバンクとして知られる場所に、
黒い車に乗った人気アーティストを含む男のグループがいたと確認している。

車内にいた男達が、銃を振り回し、そこにいたグループに向って数発の銃弾を撃ち、一人の男性の足に当たったことも主張している。
撃たれた男は、すぐに病院に運びこまれ手当を受けた後に退院した。

警察は、事件の調査は早まっていると言っているが、真相はアーティスト同士の争いだと指摘する。
また、その事件に関与しているガンマン達は、そこの居住者ではないことも特定している。

事件の目撃者であるMOVADOは、黒のBMWの車内には、肌をブリーチして斑な皮膚のカーテルの顔が見えたと言っている。

「みんなカーテルの顔を車内で見たって言ってる。
その車が通り過ぎた時、車内にはブリーチした肌の顔が見えたのを俺は覚えているんだ。
そいつは間違いなくカ-テルだった。
BMWのタイヤもカーテルと同じものだった。
だが、今ヤツの車は全部変えた。
何故だ?? 」
とMOVADOは尋ねた。

今回の事件に拍車がかかったのは、MOVADOが最近リリースしたカーテルへのアンサーソングが原因だと言う。

そのアンサーソングが元で、カーテルがMOVADO本人と彼のコミュニティに対し反撃したのだと・・・

「カーテルにアンサーソングを返したまでは音楽のレベルだと言えるが、今回の事件は音楽のレベルとはまったく違うと思うね。
ブリーチした肌のPATRICIA PALMER(カーテル)が一人の男を銃撃したことで、ヤツはアーティストとしてのキャリアを失ったんだ。 」

「ヤツが車内から銃撃して、ストリートにいた俺の仲間を撃ったんだ。
この事は、STAR紙(ジャマイカの新聞)の第一面に掲載するべきだ。」とMOVADOは言った。

●ボウンティの"バッドマインド"な指図

ファイル 198-2.jpg一方、日曜日は、32歳の誕生日を祝ってもらっていたと言うカーテルだが、
そのパーティの主催者から昼間はサッカーのイベントに誘われ、夕方からは誕生会に出席していた。

カーテルは「すべては"ALLIANCE"のリーダーであるBOUNTY KILLERのBAD MINDな指図から起こったことだ」と繰り返し言っている。

「これはALLIANCEとBOUNTYによる計画的な陰謀だ。
だが、ヤツらの計画はうまくはいかない。
ヤツらはたくさんの人達をDISSってるが、天罰はどこから来るのかわかってない 」 とカーテルは言った。

MOVADOからどれだけ言われようが、
カーテルの音楽的才能には、未だ高い評価があると彼自身主張している。
(カーテルは肌をブリーチしてるとかインファーマだとか女だとかMovadoに歌われている)

「ヤツ(MOVADO)にも才能はあるし、明るい将来もあるだろう。
だがヤツがギャング人生から抜け出さない限り、
俺のような本物のスターにはなれないだろうね」とカーテルは言った。

(情報:STAR紙)
翻訳:RUFF-CUTかずみ



BEENIE MAN INTERVIEW PT.2

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■BEENIE MAN INTERVIEW PT.2

BEENIE MAN INTERVIEW PT.1 の続きです。
(※)は私が付け足したコメント

来る6月、VIRGIN RECORDSからBEENIE MANの4枚目のアルバムがリリースされる予定だ。

BEENIE MANいわく、このアルバムは間違いなく100% DANCEHALLであり、その中の18トラックスは"DON CORLEONE"のプロデュースによるもの。その他にもR.KERRYとBEENIE MAN共同のプロデュースの曲も収録されているらしい。

海外のラジオステーションには、すでにプロモート用として、BEENIE MANのシングル「HUM HUM」が送られているので、あとはプレイリストにその曲が追加されるのを待っている状況だとか。これが海外のラジオでオンエアされるようになると、今度はビルボードのチャートイン入り、そしてグラミー賞ノミネートへ続くとBEENIEは説明していた。

「グラミーに選ばれることで自分が落ちるってことはまずないだろう。むしろ得ることの方が多いと俺は思うね」とBEENIE BANはグラミーのことを決して否定はしない。

「今年のグラミーの予想をする限り、おれは"DAMIAN MARLEY"だと思う」と言っていた。

(※今年で48回目になるグラミーにノミネートされたレゲエ部門のアーチストは、
★DAMIAN MARLEY
★SHAGGY
★SEAN PAUL
★BURNING SPEAR
★THIRD WORLD
だったが、結果はビーニマンが予想したように、DAMIAN MARLEYことJUNIOR GONGが、今年の「ベストレゲエアルバム賞」と「ベストアーバンパフォーマンス賞」の2つを受賞した)

「ヴァージンとの契約は来年いっぱいまでだ。
だが俺の曲はアメリカよりも、アフリカやヨーロッパやブラジルの方がもっと売れるってことをヴァージンはわかっていない。
ヴァージンはもともとアメリカの会社じゃないからさ。
この契約が終わったら、俺はMAFIA HOUSEを通してSONY/EPICと契約するんだ。
まずは今年マフィアハウスと契約する」とBEENIEは語っている。

年末の「STING 2006」で、BEENIEは2回パフォーマンスをした。
最初のステージに現れたのは夜中の1時近く。そして2回目に現れたのは終了間近の朝8時頃。
なぜならその間にセントアンズのオチョリオス近くで行われた「TEEN SPLASH」に出演するため、キングストンとオチョリオスを往復していたのだ。

BEENIEはキングストンのSTINGの会場に戻ってくる途中のガーデン・パリッシュ教会で、RUFF KUTのメンバーと会ったそうだ。

「彼らは超ウィッキーでバッドなバンドだよ!まるでDeeJayそのものだね。
もしRUFF KUTバンドにのせてDeeJayをやろうとしても、誰も出来ないだろうね。
サウンドなんかよりずっといいよ」
とBEENIE MANは語った。

2004年1月15日にケイマナスの交差点付近で起きた車でのアクシデントにより大事故を起こしたBEENIE MANは、それ以来、夜中に自分で運転することが出来なくなってしまったそうだ。
そのため夜中にハードな運転が伴うショーは一切行っていないということだ。

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(※写真はビーニマンが乗っていたGM HUMMERの事故直後の悲惨な状態)

■大流行のダンスについて

一時のダンスブームのピークも過ぎたようだが、それでも熱狂的なダンス好き達は今もなお熱はさめずといった様子だ。
これについて BEENIEは
「もちろん今でもダンスは好きだし、ダンスするのはいいと思うよ。
だけどちょっとTOO MUCHだね」と語っている。

「今も男達はニューダンスを提案し、それを追っかけている。
だが今はもう誰もアーチストはダンスの曲は歌ってない。
まっ、ELEPHANT MANはだけは、全部のダンスネタを歌っているけどな、笑。
だがな、ダンスだけでダンスホールを存続させることは出来んのだよ」

BEENIE MANのスタイルが変わったのは5年くらい前から。
それまでの彼はあちこちのダンスに出かけては、いつも派手に着飾り、みんなからハイプなやつだと言われていた。

「派手に着飾ったビッグマンを見て嫌うやつはいないだろ。
ハイプで派手なビッグマンはみんなから好かれるのさ。
だからは俺はそうした。ダンスホールピープルってどんな人達のことを言うのか知っている?
いかにハイプでなきゃ付き合えない連中かってことを知ってるかい?」
とビーニマンは強く尋ねた。

そして2001年、WILLIAM "HOGGART" MOORE(※当時のブラックローゼスの代表、ウィリアム・ハガート氏のこと)の突然の殺害事件の直後の時期、
ビーニは冷えきったダンスホールの現場を立て直すため、精力的に活動していた。
今現在はFIRE LINKSが精力的にセッションを行っている。
(※どこの駐屯地であろうと!)

ダンスに関していえば、ビーニは1990年代初期の頃からずっとダンスと関わっていた。
その当時の彼はステージでタップダンスをやったりもしていた。

「このダンスブームは純粋な反動から起きたものだよ。
ところが、その反動が大きくなり今度はダンスで金が動くようになった(ビジネスになった)もんだから、急にみんながダンスをし始めたわけだ。
今のBOUNTY KILLERを見てみろよ。
やつまでがダンスをしている。」

(※ボウンティキラーのニューダンス“キラーウォーク”のこと。これについてはまた後日ニュースを書きます!)

■流行をつくりだしたのは俺

ファイル 200-3.jpg「去年、俺はカーテルにダンスについて尋ねたことがある。
やつはダンスはしないと言っていた。
ところが今年のSTINGで俺がカーテルにダンスの事を尋ねたらやつはダンスしてた。
つまりこういうことだ。
俺がこの流行をつくりだしたんだ。
SHABBA RANKSが世界を又にかけて、先駆けしたように、
俺がこの流行を先駆けたから、やつらもそれに続いた。
SHABBAが先駆けして、俺とBUJU BANTONが後に続いたようにね。
そして次にブジュがボスしたんだ。
シャバはその後引っぱってはいけなかったが」とビーニマンは言った。

「そして俺はドレスアップをし始めた。ベルサーチを着て、BMW、BENZ、LEXUSに乗り、家を買った。
1992年から93年頃に流行ったアーチスト達の流行を先駆けたのは俺だ。
スーツを買って着るようになって、もう昔のようにハロウィンのようなコスチュームを着るのは止めたんだ」とBEENIE MANは語った。

「あの細いパンツを最初に履き始めたのは、誰だか知ってるかい?」とビーニマンは尋ねた。
「君らが"BATTY MAN"と呼んでいる男達だ。俺の中ではもう終わっているスタイルだがね。もう2年前にベルサーチを着るのは止めたんだ。当時はパリやマイアミ、カナダまで買い物しに行ってたよ。だがもう俺は男のために服は着るのは止めた。俺は女が好きだから。やつらもその事に気が付いた時、今度は女の子達が好きだと思う服を着るようになるさ 」

■あとがき

ここまでがBEENIE MANのインタビューのPT.2でした。
とりあえず今回もここまでということで。最後のPT.3は、STINGでのボウンティとのクラッシュの話を始め、DAVE KELLY、D' ANGEL、そしてBLACK ROSESのことなどを中心としたインタビューです。(いつの更新になるかわかりませんが。。)

(情報提供:THE STAR)
Text: Ruff-Cutかずみ



BEENIE MAN INTERVIEW PT.1 - JOHN HYPEと分裂?

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昨年の12月27日の朝、ポートモアのジャムワールドで行われた「STING 2006」の最後のステージでVYBZ KARTELとパフォーマンスをしたBEENIE MANは、レギュラーダンサーのJOHN HYPEと、今後はお互い別々に活動をしていくことを公表した。

「今夜からJOHN HYPEはJOHN HYPE、BENNIE MANはBEENIE MANとして別々に活動していく。
最近はJOHN HYPEなしでステージを7本こなした」とBEENIE MANは語った。

「ジャマイカ国内ではJOHN HYPEとはほとんど一緒にやってない。
海外でのショーとか、その他特別な時にしか一緒にやってないんだ。
JOHNはジャマイカンマネーが強い時はたいてい海外にいるし、外国マネーが強い時はジャマイカにいる。
彼がジャマイカでVAN(車)を買えばここにいるだろうし、ギャル達が周りに集まればJOHNはここにいるだろう」とBEENIE MANは説明した。

BEENIE MANとJOHN HYPEは過去2年間の間に、熱いダンスブームを作り、ダンスホールのシーンでそれらがピークに達するまで、共に活動してきた。

JOHN HYPEは「PON DE RIVER、PON DE BANK」のダンスを創ったことで一躍有名になり、ELEPHANT MANもそれと同名の曲で大ヒットを飛ばした。
そして BETでヘビーローテーションで流れた BEENIE MANの"Dude"のビデオの中でも、JOHN HYPEの「PON DE RIVER、PON DE BANK」がヒューチャーされた。

■ 何も変わってない!

ところが、THE STAR(ジャマイカ新聞)がダンサーのJOHN HYPEにインタビューをしたところ、
その話(別々に活動すること)はBEENIE MANの一方的な発言だと言う。

JOHN HYPEに言わせれば、BEENIE MANから直接その話しを聞いてないから、今までと何も変わっていないと主張した。

「DOCTOR(ビーニマンのこと)が俺と一緒に仕事をしないって!?
そんな馬鹿な。。。ただその場で言っただけだよ。
俺にはさっぱり何のことかわからない。
もし本当の話なら俺に直接言ってくるだろ。
俺は本人から何も聞いてないよ。
だからといってDOCTORを悪く言うつもりもない。
今までと何も変わらない。
それに俺はこれからアメリカでのショーの仕事が1本あって、今から出発するところなんだ」
とJOHNは付け足した。

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(※写真はDANCER JOHN HYPE@HOTMONDAYZ PARTY AFFAIR 2K5)

■ BEENIE MAN INTERVIEW PT.1

2005年の始め、セントアンドリューのコンスタントスプリングロードで起きたBOGLEの殺害の余波によって、世間からはBOGLEの事件と何かしら関係があるのでないかと注目された。
そのためにBEENIE MANとJOHN HYPEは隠遁状態となった。

その後BEENIE MANはテレビに出演し、1月に起きたBOGLEの殺害事件について、自分らは何の関係もないことを主張した。

殺害されたダンサー GERALD 'BOGLE' LEVYの事件にまつわる「うわさ」のために、JOHN HYPEと共に隠遁しなければならなかったBEENIE MANにとって、2005年は決していい年の始まりとはいえなかった。

夏の終わりまでジャマイカから離れて海外へと飛行した。

しかし長年もめていたCAPLETONとBEENIE MANは2005年の間に"FIRE MAN'S"、"ST.MARY WE COME FROM"、"DOCTOR'S"、"SUMMER SIZZLE"などのビックイベントに一緒に共演し、二人の不和が和解した。

2005年も終わりに近づき、12月26日のBOXING DAYの日に行われた「STING 2005」でのVYBZ KARTELとのパフォーマンス、そして大晦日に行われた「THE ORIGINAL JAM JAM」でのCAPLETONやNINJA MANとのパフォーマンスにより、BEENIE MANは再びトップの位置に戻った。

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(※写真はCAPLETON)

骨折していた右手もようやく直り、次の夏に向けてVIRGIN RECORDSより4枚目のアルバムもリリースされる。

以前のようにロードダンスで彼のヒット曲がヘビーローテーションでかかるようになる準備を整えるために、BEENIE MANは1月に休暇を取った。

その休暇の間、ジャマイカ新聞「THE STAR」は、PEGASUSにてBEENIE MANの省略なしのインタビューを行った。

先週の木曜日の夜、BEENIE MANはLICK A RIDDIMのチューンにドラムをセットする手配をしていた。
THE STAR(ジャマイカ新聞)は、BEENIE MANとフィメール・シングジェイのD'ANGELが "MAFIA HOUSE PRODUCTION" で契約を交わしレコーディングした話など、最近の気になる点についてをインタビューした。

「MAFIA HOUSEとSHOCKING VIBESは別々のレーベルなんだ。」とBEENIE MANは説明した。

"MAFIA HOUSE"は、"DON MAFIA"と、"BEENIE MAN"、そしてBOUNTY KILLERの元彼女である"D'ANGEL"から成るレーベルだ。

「"DON MAFIA"は、じつは"GRINGO"のことなんだ。
GRINGOは過去にNINJA MANやBOUNTY KILLERなんかとすごいクラッシュをやってた。」
と説明してくれた。

2年以上前、BEENIE MANのキャンプにいたGRINGOはその後行方知らずとなっていたのだが、
ここでGRINGOの所在があきらかになった。

■ 新しいイメージ

以後、GRINGOは"DON MAFIAと"改名し、服装もスポーティな細身のピンストライプのスーツといった着こなしでイメージを変えた。

「アーチストはみんなに格好よく印象づけるドレスアップが出来なければダメだね」
とBEENIE MANは付け足した。

「今、SHOCKING VIBESのプロデューサーSCATTAと競い合うようなプロデューサーが山ほどいる。SHOCKING VIBESはもともとアーチストを扱うのが仕事だ。
俺たち"MAFIA HOUSE"は歌うことだけが仕事じゃない。
ところが、いいリディムを持っているのはほとんどがプロデューサなんだ。」
とBEENIE MANは言った。

「だから、時々若いDEEJAYとリディムを扱う時に問題が生じる。それが暴力や犯罪にまで発展することもある。そんな時どうする?」
まだまだ解決していかなければいけない問題が山ほどあるのだ。

"MAFIA HOUSE"で今製作中のアルバムは、D' ANGELの「THE BLESSED CHILD」、DON MAFIAの「IT'S REAL」、そして今もなおSHOCKING VIBESに所属するBEENIE MANの「ME IS THE CEO OF MY COMPANY」である。

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(※写真はD' ANGEL /YARDFLEX.COM)

「アーチストを扱うというのは、イコール教育することなんだ。
すべて教えていかなきゃいけない。
もしアーチストの時間が足りなければ時間調整してやる。
発音が悪ければ直してやる。
そういったことを俺は"DON MAFIA"と"D'ANGEL"と一緒にやっていくつもりなんだ。

たとえば 今のVYBS KARTELなんかがいい例だな。
カーテルはBAD DEEJAYだが、キラーがいろいろ教えたり、リリックスをチェックして、カーテルのためにリリックスを書いたりもした。
そういうのを手助けとは言わない。
協力って言う。」
「俺は、キラーがカーテルにしてやったことを高く評価している」
とBEENIE MANは付け足した。

しかしボウンティを高く評価しているにもかかわらず
「ELEPHANT MANに続く今の若手アーチスト達は、いずれ俺のいる位置まで来ようとするだろう。
やつらはBOUNTY KILLERにひけをとらないかもしれない。
だが誰一人として俺のチューンにかなう者はいない。
俺を負かすには才能で勝負するしかない」
と主張した。

「キラーは、誰のことも上げることはしないだろうね。
若い取り巻きを周りにつけているのは、DEEJAYにとって都合がいいからだろ?
カーテルは俺の邪魔をしたけどな。
だが誰も俺以上最悪な状況に陥ることはないだろうね」
とBEENIE MANは言った。

「俺のDEEJAY歴は28年。やつらより年も上だ。
だがジャマイカにいるすべてのアーチストが再思案する能力があるわけじゃない。
SIZZLAやCAPLETONのように」
とBEENIE MANは言った。

「昨年から俺の道のりはハードだった。
だからといってすぐにカーテルに俺の位置を譲るわけにはいかないんだ。
なぜなら奴らはまだ若いから。
奴らを仕切っていかなきゃいけないって自分自身よくわかってるからさ。」

「俺の3歳の娘はBOUNTY KILLERを知らない。
BUSY SIGNALも知らない。VYBZ KATELも知らない。ASSASSINも知らない。
だがBABY CHAMのことはニューチューンまで知っている。

14歳の娘は『ダディ、今日もラジオでダディの歌が流れないわね』
と言ってはオレに仕事を続けさせようとしている。」
とBEENIE MANは語った。

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(※写真はBEENIE MAN /YARDFLEX.COM)

■あとがき
ここまでが最近のBEENIE MANのインタビューのPT.1でした。
じつはこのBEENIE MANのインタビューは "PT.3"まで続きます。
とりあえず今回はPT.1までということで。
もし続きが読みたいという方がいたらご一報ください。
気合いと時間があったら続きを書くかもしれません。

(情報提供:THE STAR)

text: Kazumi(Ruff-Cut)



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