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Dancehall Queen Reportやダンスホール事情、ダンサーインタビュー、ジャマイカのダンス情報などを中心にお届けします☆

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Dancehall Queen 2K3 "Mad Michelle"インタビュー

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今回は「2003 DANCEHALL QUEEN」の "MAD MICHELLE"(マッド ミシェル) を紹介したいと思います。

"2003 DANCEHALL QUEEN CONTEST"や"FIRE LINKS HOT MONDAY 1st ANNIVERSARY"
" JAMAICAN MUSIC VIDEO"などのビデオを見たことがある人は
彼女のダンスが"MAD"であることはすでにご存じでしょう。

昨年の8月にJAMAICAのMO BAYにあるPIER ONE COMPLEXで開催された
「INTERNATIONAL DANCEHALL QUEEN CONTEST 2K3」で
見事優勝を勝ち取った21歳の女性ダンサー "MAD MICHELLE"。

このステージネームは ELEPHANT MANが名付け親で
本名はANN-MARIE-MARVETT MICHELLE MCKOY。

ちなみにDHQ CONTEST 2K3に出場した時は"REAL MCKOY"というステージネームです。

NEW HAVENにある彼女の家を訪ねたところ、
MICHELLEは白のUNION BAYのシャツとブルーデニムパンツというフルファッションで
インタビューに応じてくれた。

背が低く小柄で派手なメイクアップにラテン系の顔立ち。

そして小さな身体には7つのTATTOO(タトゥ)が入っている。

最初 彼女ははにかみながら「頭痛がする」と言いその場になじめず落ち着かない様子だったが、
しばらくするとリビングのソファーでくつろぎ、話を始めた。

実際はフレンドリーな女性のようである。

MICHELLEのインタビューでは母親のKAREN SPENCEからも話を聞くことが出来た。

KARENはソファーの手すりに腰掛け、娘がなぜこれほど音楽を愛し、ダンスを愛しているのかについて語り、
その間MICHELLEは静かに母親のことを洞察していた。

KARENは、かつての自分はダンサーで、そこのコミュニティのクィーンだったこと、
そしてMICHELLEの父親と出会ってすぐに妊娠したが、それにもかかわらずダンスに足を運んでいたこと、

ある晩にダンスの現場で突然つわりが起き、走って家に戻り父親に病院へ運んでもらい、
そこで小さなダンスホールクィーンMICHELLEが誕生したこと‥などの思い出を語った。

MICHELLEがまだ子供だった頃、KARENはバレエダンスも含めてありとあらゆる種類のダンスをやらせた。

「バレエのダンスはMICHELLEには向いていなかったの。
なぜってMICHELLEはアップテンポな音楽が好きだから。
ダンスは私にとってプライドであり喜びだったわ。
だってその当時の私は踊ることだけが唯一の楽しみだったから」

ここでMICHELLEが不意に言葉をさしはさんで無表情に話始めた。

「ダンスホールクィーンで賞を獲得してハイプになっているダンサーもいるけど私はみんなとは違うわ」

昨年"Miss Hedonism 2003"にも選ばれたMICHELLEは、
そこでもパーティアニマルとなり注目を浴びた。

「私は外に出るのが大好きなだけ。
パーティに出かけたり、はめをはずして楽しむことが大好きなのよ」

“踊る”ということは決して楽なことばかりではないとMICHELLEは指摘した。

「時々踊り過ぎて体中が痛い時があるの。氷で全身を冷す必要があるくらい‥」

MICHELLEは2003年のダンスホールクィーンに選ばれ、その王冠を手に入れた。

そして日本から進出した2002年のクィーン"BASHMENT JUNKO"の手によって
賞金$70,000とSLAM CONDOMのトロフィーが手渡された。

しかし、その後、数時間の睡眠の間にその王冠は何者かに盗まれた。
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「DANCEHALL QUEENは私の人生を変えた。
ダンサーの仕事はとてもハードだけど楽しいわ。
だって私は1秒足りとも楽しむ時間を無駄にはしないから」

「クィーンになって以来、いくつかのカリブ島でショーをしたり、
FRISCO KIDの"GALLOP"やHARRY TODDLERの"INTERNET"などの PVにフューチャーしたりと
MICHELLEの才能を知ってもらうチャンスが訪れたの。

私の才能が皆に注目されるようになって、たくさんの出演依頼が来るようになった。
こんな事、想像もしてなかったわ」
とMICHELLEは感謝するような声で語った。

「いずれは自分のショップをオープンするの。
そしてマッドな動きを学ぶためのダンスクラスを開講するつもりよ。」

彼女にはもう一つのプランがあった。

それは踊ることから更に上を目指し
LADY SAWやCE' CILEのような女性DEEJAYになることだ。

MICHELLEは自分が"SINGJAY"であること、
そしてレコーディングはまだだが
今現在はDOWNSOUND RECORDSでVOICINGしていることなどを話してくれた。

彼女のチューンが今後BUSするかどうかは時だけが教えてくれることだろう。

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(Lady-K)

The Uncrowned King of the Dancehall "Bogle"インタビュー PT.2

ボーグルといえばジャマイカで一番有名なダンサーである。

今現在(2002年)BrooklynとJamaicaを拠点に活動しているボーグル。
ある昼下がりの午後、彼にインタビューし、非常に興味深い話を聞くことが出来た。
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インタビュー:出身はどこ?

ボーグル:ジャマイカのジャングル、キングストンさ。

俺はゲットーで育ったが、「ゲットー」の本当の意味は「Get Out」(出て行く)だって知っていた。
そこはすべてが最低さ。

だから俺らはそこから出た。

確かに俺はジャングル(ゲットー)で生まれ育ったが
母親は俺をゲットーの中にある学校に行かせてくれた。

決して金持ちではなかったけどな・・・

インタビュー:ところで、最新のニューダンスはどんなダンス?

ボーグル:エレファントマンがマイアミに来た時、
すでにニューダンスの曲は出来上がっていたんだけど、
ジャマイカでは誰一人俺のニューダンスを見たやつはいなかった。

そのダンスは「WAVE(ウエーブ)」っていうダンスさ。
別名は「Super Bawl in New York (スーパーボール イン ニューヨーク)」。

俺が今まで作ったダンスはすべて、ジャマイカで考えて作ったダンスだ。
けど、いつか、ここ(アメリカ)でダンスを作りたい!っていつも思ってた。
ここで作ったダンスをジャマイカに持って行くっていうのが俺の夢だったんだ。
そしてその夢が実現したのさ。

ある日、ステイツでボンティキラーとビーニマンに会った時、
俺がジャマイカに戻るまでにこのニューダンス(WAVE)をジャマイカのみんなに伝えておいてくれと頼んだんだ。

昔からすべてのダンスは俺が作って、仲間達に教えてきたんだ。

ダンスホールクイーンのカーリンが、かつてジャマイカでダンスを作ったことがあるかい?
答えはノーさ。

ジャマイカで流行ったダンスすべてを作ってきたのは誰かい?
答えは俺さ。

インタビュー:BLACK ROSES CREW(ボーグルのクルー。ドンのウィーリー氏は2001年死去)はこれからどうなっていくのかしら?

ボーグル:1年前に殺された俺のブレッジン、ウィーリーの事かい?
俺が「ログオン」や「ジピタップ」や「パピッ」をボスさせた時、
エレファントやキーバにダンスを教えてやったのは俺だった。
全員に教えてやっていたんだ。

その後に俺のブレッジンは殺された。
俺は葬式や告別式を済ませた後、すぐにアメリカに渡り、ようやく落ち着いた。
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エレファントは俺がジャマイカから出ていくのを待っていた。
エリーは俺のダンスのチューンを歌ったが、俺の名前を入れずにキーバの名前を使ったんだ。

ジャマイカのみんなはそれが俺のダンスだって知っているさ。

ビーニマンは俺に言ったよ。

「あの曲にはボーグルの名前を入れるべきだ。
だって、あのダンスを最初に見たのはボーグルのだったからね」ってな。

俺にはダンスしかない。
俺はダンサーだから。
俺はDJじゃないし。

でも、かつて俺はDJをやっていたこともあるんだ。
今までにも俺が作ったリリックを使った曲はたくさんある。

例えばビーニマンのリリックの「toyfriend for a boyfriend」。
このフレーズは俺が作ったものだ。

ビーニマンがこのフレーズを聞いてリリックを作った。
こんなのは今までにもたくさんあることさ。

ジャマイカでは常に新しいリディムが作られているのは知っているだろう?
これからどの曲がボスするのか、ってのも彼等は最初から知ってる。

何故ってボーグルが踊るチューンは必ずボスするってことをみんなが知っているからさ。

今までに作ったダンスの中には、俺が直接作っていないダンスもある。

例えばドライブバイは俺のダンスとほとんど同じだが、手の動かし方が違う。
まぁほとんど同じだがな。

俺がWAVEダンスを見せると、みんなは「ちょっと待って!!ダンスが違う!」って言うよ。

俺は自分のやっていることを愛してる。
(その場でダンスをしながら)

俺はそれ以上のことをやるつもりもないし、それ以下のことをするつもりもない。
ただ次のレベルに上がっていくだけ。

要するに、ダンスのことはすべて知り尽くしているのさ。
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インタビュー:新しいダンスはどうやってつくり出すの?

ボーグル:いつでもダンスの事を考えて、つくり出している。

俺にとって踊るってことは、寝たり起きたりすることと一緒で生活なんだ。

LOU RAWFSやR KELLYなんかのどんな曲にもでも合わせてダンスを作ることが出来るんだ。

ダンスをする時、俺は音楽を聴いていない。
自分の足底の音を聴いている。

ほとんどの人はこのことを知らないだろう。

インタビュー:ダンスをする時に聴く好きな曲は?

ボーグル:俺はいつでもBOB MARLEY、BERRINGTON LEVY、DENNIS BROWNをリスペクトしている。

あとR&Bも好きだな。
とにかくピュアでソフトな音楽をいつも聴いているよ。

ボーグルは、HYPE WILLIAM氏製作の映画「BELLY」など数々の映画にも出演している。

この「BELLY」に出演することになるまでのストーリーをボーグルが話してくれた。

彼がストリートのコーナーにいた時、
ある女性がボーグルをスカウトし車に乗せてWYNDHAM HOTELまで連れて行き、
そこでその映画に出演するための契約を交わすことになった。

HYPE氏はボーグルに台本を渡したが、ボーグルはHYPE氏に向かって

「HYPE WILLIAMさん、知っているとは思うが、俺には台本など必要ないんだ。
もし俺に台本が必要なら、とっくにSUNSET STRIP(L.Aのハリウッド)に行ってるさ。」
と言い台本を突き返した。

ボーグルはいつものような口調で自然にふるまった。

するとHYPE氏は
「そうそう!!それこそ私が映画の中で君に言ってもらいたい台詞なんだよ!!」
と言い、そこで話は決まったという。

その後も、ボーグルには「BELLY PT.2」の出演依頼が来ていて、
今はその映画製作の予算待ちということだ。

インタビュー:好きなダンスは何?

ボーグル:ボーグルダンスだな。
このダンスは91年の11月から12月頃にかけてボスしたダンスだ。

92年にブジュがこのダンスのチューンをヒットさせたんだよ。
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インタビュー:今ジャマイカで起きているアーチスト達の暴言についてどう思う?

ボーグル:暴言は絶対によくないし、ここ(アメリカ)でもそれは同じだ。
要するに、次のレベルに上がっていくってことが大切だってことだよ。

実際、俺は今の若いユース達(アーチスト)とは違う。
俺はずっとダンスだけだから、めったに語ることもないし・・・な。
まぁ俺が何かを語る時は、足を使って語るってことだな。
だけど誰かをターゲットにディスするのはよくないよな。
言われた奴も同じようにやり返すようになるし。
それは場合によっちゃ“いいこと”とも“悪いこと”ともいえるんだが・・・
とにかく、人を落とすようなことは絶対に言っちゃいけないぜ。
俺はそういうのは本当に嫌いだね。
俺のことを言ってるのか?って思わせるような発言は絶対にしちゃいけないぜ。

俺にはダンスだけ。(ダンスをしながら)
もし俺にダンスがなかったとしたら・・・困惑して悪い方向に進んでいただろうね。
しかしながら今の俺は以前とくらべて、ダンスを作ることが難しい状況だ。
たくさんのダンスが作れる時は、すべての事が順調にいってる時。
つまり精神状態が悪い時にいいダンスは作れないってことだよ。
そうは思わない?

インタビュー:その通りね。

ボーグル:今までにも俺はたくさんのダンスを作り出してきた。
そんな時、俺はいつもダンスの事だけを考えていればよかった。
そうだろ?
ダンス以外に何を考える必要がある?
余念があったらいいダンスは作れない。
完璧なダンスは作れないのさ!

インタビュー:好きなサウンドシステムは?

ボーグル:STONE LOVEだね。

こんな事があった。
ある日STONE LOVEのRORYに会った時、ニューダンス(WAVE)を見せたんだ。

そしたらローリーは
「ジーザスクライス!!ボーグル!!こんなダンスはかつて見たことがないよ。
なんて名前をつけたらいいのかわからないくらいだ」

そんで、SKY JUICE(METRO MEDIA)にニューダンスを見せたら
「ボーグル、このダンスには"WAVE"という名前をつけさせてくれ!!」
って言ったのさ。

ここでボーグルは「LOG ON」のプロモーションビデオについて話し始めた。

「エレファントは、LOG ONのプロモビデオの中に俺を出演させるって言っていたのに
実際はダンスも踊れないような一団を使ったのさ。

あれはダンスの曲なのにもかかわらず。
だからあのプロモはどこにも流れないし、放映もされないよ。」
(注:とボーグルは語ってるが、実際にはジャマイカの現地のCABLE TVなどで放映されてます)

インタビュー:あなたがFOXY BROWNのプロモーションビデオに出演することになった経緯(いきさつ)は?

ボーグル:FOXYはもちろん、誰かに自分から出演を依頼したことなんて一度もないよ。
みんなが俺のところに来るんだ。
何故かっていったら、理由はたくさんがあるんだが。

まぁ要するに、俺のモットーは「dance or die?」だからさ。
俺のダンスを見れば、わかることさ。
みんなにわかってほしいよ。
自分のことを語るのは好きじゃないんだ。
それが俺だからさ。

★ジャマイカの男のダンサーBRUK UPについて・・・

「BRUK UPを見ろよ。
彼はダンサーとは決して言えないね。
あれは芝居役者だよ。ダンスってのはウエーブを作ることさ。
芝居じゃない。

ダンス(dance)の"D"と芝居(drama)の"D"は同じ"D"のスペルだけどまったく違う。
ダンスは芝居じゃない!」

「みんなは、今ボーグルがどこでどうしているのかまったく知らないだろうけど、
知ったらきっと驚くに違いない。
俺は今アメリカにいて、ダンスを作っている。
たくさんのエンタテイナ-達がそのニューダンスをジャマイカに持っていって伝えている。
だが俺は今もまだアメリカにいるってわけさ。

ところで、ジャマイカのみんなはどうしてるんだろうな?
ヨオ!みんな!俺はもうすぐ戻るから、いらいらしないで待っててくれよ!」

★WAVEダンスについて・・・

「ヨオ!ベイビーガール!
君がこのダンス(WAVE)を見たら、きっとジーザスクライスって叫ぶぜ!
毎日このダンスを踊りたくなるくらい虜になるよ。

このダンスは、ZIP ITやLOG ONと同じように作った俺のダンスだ。
たくさんあるダンスの中の一つさ。

このダンスが踊れるようになった時に、今俺が言ってることがきっとわかるよ。
何故って、俺も君もみんなが気持ちよくなるために作ったダンスだからさ。

そのダンスが踊れるようになった時、どんなに気持ちいいもんかを知っているから、俺はダンスが作れるのさ。
それがダンサーってもんだ。

俺がダンスする時は、俺自身のために、そしてみんなのために作って踊る。
今、君の目の前で俺が踊ったら、君はすぐに踊れるようになるよ。
そして誰ひとりとして、君と同じダンスは出来やしない。」
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★今ジャマイカでマッシュアップしている若手ダンサー“ジョン”について・・・

「ジョンのダンスはもとは俺が教えたダンスだ。
初めてジョンがステージに立った時は、みんなが『ボーグルだ!』って叫んだよ。
俺達は昔一緒にサッカーをやってた仲間なんだ。
で、俺がジョンをダンサーにした。
つまり俺がジョンにサッカーを止めさせて、ダンスをさせたのさ!」

ここで、いきなりボーグルがインタビュー側にまわり、私に質問し始めた。

ボーグル:今、ステージショーが少なくなってきているのはなんでかわかるか?
今はダンスが主流になっているだろう?
ステージショーをやるより、ダンスだけの方が流行っている。
それはなぜか?

インタビュー:なぜ?

ボーグル:わからないか・・・それは俺のためさ。
みんなダンスをしたいのさ、ベイビー。

話を聞くより今はミュージックを聴くことを楽しみたいってみんな思ってる。
それは何故か?

インタビュー:ダンスをしたいから?

ボーグル:そのとおり!わかるだろ?
俺が今やっていることだよ。
本当さ。

もし誰かがいなかったら、
ジャマイカにダンスはないしダンスホールの熱いヴァイブスもない。
その誰かっていうのは誰?

インタビュー:ボーグル!

ボーグル:そのとおり!
それじゃ、ダンスを最初に始めたのは誰?

インタビュー:ボーグル!ボーグル!

ボーグル:そのとおり!そのとおりさ!
これだけはみんなに知っておいて欲しいことなんだ。
みんなが俺のことを忘れてしまっていないか、
このことを置き去りにしてしまっていないかがちょっと心配なんだよ。

インタビュー:これからのボーグルに何を期待してほしい?

ボーグル:それについては今は答えたくない。
ただこれだけは信じてほしいんだ。
今まで俺が作り上げてきたものは今も健在だってこと。

今すぐにジャマイカに帰りたい。
そしてみんなの愛があったから今の俺がいることを教えたい。

インタビュー:今インターネット上で「ボーグルはマフィアのボスだ」と言っているサイトがあるのを知ってる?

ボーグル:(笑いながら)俺が?
ちょっと言わせてもらっていいかな?ベイビーガール!
そのサイトは何てとこ?
俺が誰なのかをそいつらに教えてやろう。

たしかに親友のWILLIE HAGGARTがボーグルをログオンさせたんだ。
でも、その親友はもういない。
そいつはジャマイカ中のみんなが知ってる有名な男さ。
そんな親友と俺がかつて一緒にやっていたことは何か?

インタビュー:ダンスね。

ボーグル:俺についての説明はこれだけさ。
警察だって一度も俺につきまとったりしたことはないぜ。
俺はバッドマンでもガンマンでもない。
だが俺の親友がバッドマンでガンマンだったってことは、みんなが知ってる話さ。

俺達はダンスの時には、いつでもとなりにいたんだ。
俺は自分のやり方で彼を勝ち上がらせ、バッドマンなスタイルのダンスを作ったりもした。
俺達がどのくらいの年月つき合ってきたのか知っているか?
俺は親友を愛してる。
だから人が俺らを何と言おうが気にしない。

やつは俺の親友なんだ!・・・

俺が今言ったことはみんなも知ってることさ。
信じられないなら警察長官のところに行って聞いてみればいい。
そうすれば俺がダンサーだってことを教えてくれるさ。

俺は毎日、毎晩ダンスに通ってた。
俺らがどんなつき合いをしていたかのはみんながよく知っているはずさ。
俺はバットマンでも強盗犯でもなかった。
俺の顔にある傷は母親がつけたものさ。

俺をマフィアの一員だという発言は、
今までにボーグルのダンスのスタイルやリリックのチューンを歌った
BEENIE MANやBUJU BANTON, JUNIOR REIDなどのビッグアーチストに対してのバッシングになる!
とボーグルは強く主張している。

「俺がこの業界のために今までやってきたことはたくさんある。
それなのに、今になってみんなが俺をこの業界からなくそうとするのか!
俺はダンスをしているだけなのに。
今は不安な気持ちだよ。
一ついえることは、俺がジャマイカに帰る時まで、ずっとダンスを踊っているってことさ。」


あとがき
このインタビューは2002年の夏頃に行われたので、内容は半年以上古いものです。
一時期はまったく現場のビデオで見なくなったボーグルですが
今現在は、以前のようにがんがん踊っている姿がビデオでも見れます。

Bogle関連のDVDがこちらのページで購入できます
http://www.ruff-cut.com/reggae/goodslist.cgi?in_kate=30-3-13

訳:Lady-K

レゲエダンスの創作者"Bogle"インタビュー

海外のサイトで、レゲエダンスの創作者"ボーグル"の インタビュー記事を見つけました。

1997年のインタビューなので、3〜4年くらい前の内容ですが ちょっと興味深いなって思い
めずらしい記事なので紹介することにします。

ボーグルの意外な一面も発見・・・

N.Y.でのインタビューだと思います。

バリバリのパトワでの会話なので、意味不明のところは一部省略してあります。

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インタビュアー:「ダンスを始めたきっかけは?」

ボーグル:「子供の時は、 いつも"Where Its At"の曲に合わせてダンスをしていた。

"Ring Ding"の "Ms.Lou"(Louise Bennett)知ってるだろ?

ダンスの影響を受けた人は、まさに"Ms.Lou"だった。

そこから始まって、今はインターナショナルダンサーになった。

最初は"Where Its At"でダンスしたり、Discoでダンスしたりしてたよ。

ダンスの練習っていう毎日だったな・・・

今は、ダンスの練習じゃなくて、自分のダンスを創ってるけどな。

なぜかって、それが俺のやるべきことだからさ。

こうして3個、4個・・・・・10個ものボーグルダンスが、毎年生まれてるのさ」

インタビュアー:「"ボーグル"という名前の由来って、国民の英雄"ボーグル"氏の名前から?」

ボーグル:「まぁ・・本当のところ、そうらしい。 家族の話だと、俺を初めて見た時に、 この子はPaul Bogleに似てる・・・ってさ。

JAHからもお告げがあったらしい。

その時から俺の名前は"ボーグル"さ。

だけど俺の考えは違うね。俺が本当の"ボーグル"、 正真正銘"ボーグル"なんだ。」

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インタビュアー:「ダンスは、どんなふうに造り出しているの?」

ボーグル:「そうだな・・・ まず言っておかなきゃいけないのは、 俺は相当のダンスホールの熱狂者だってことだな。
まぁ、そんなのは当然のことなんだが。

で、ダンスを創るようになったきっかけは・・・

ある晩、ダンスホールに行ったら、なんか、しんみりした様子でさ、
誰も踊っていないし、静止状態で、全然盛り上がってないんだよ。

それで、これは何とかしなきゃって思った。

誰だって音楽を理解することが出来なかったら、ダンスなんて踊れないさ。

音楽のことが判るようになって、初めてダンスが踊れるようになるわけだ。

つまりだな・・・

もしこの世界に音楽ってものがなかったら、ダンスもない。

それとは逆にダンスがなかったら、音楽だって当然行き詰まってくるだろ?
だから、いろいろ考えたさ。

自分のやるべきことは何かを考え、 気持ちを整理してから教会に行って、俺への誓いをした。

かつてのように、ただダンスの練習に励み、 流行りのDiscoで踊るだけ、なんて、くだらねーことは止めよってな。

音楽を表現するダンスを創っていくことに専念していこうって思ったんだよ。

あれは直感だったな。

それ以来、俺は自由な発想を持って、自分のダンスを創るようになったってわけさ。」

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インタビュアー:「最近の新しいダンスは?」

ボーグル:「Hot 97(N.Y.のFMステーション)で、"Mission Impossible"がかかったら、チェックだな!

それは"ボーグル"のニューダンス"Pelpa Dance"だ。

まぁ、いわゆる"ボーグル"リミックスってやつだな。

俺が、ダンスホールについて、こんなに話したんだ。
すごいことだろ?

どんなにこれが好きかって、わかってくれたか?

俺の話、信じてくれよな。
お前をリスペクトしてるから話したんだからな。

今話したことやスラングなどが、 いつもダンスで表現していることさ。

Jr.Reid の"All Fruits Ripe"やBuju Bantonの"Mr.Man"・・.
それから "Mr. Wakinston"や"Mr. Abraham"や"Mr. Mention"・・・
それらは全部、俺のことを歌ってるんだ。

そうそう、Frisco Kidって、知ってるだろ?
俺とFriscoは、ワシントンで一緒にショーをやったことがある。

ステージで、俺が一言 語ったら、 Frisco Kidは
“お前はステージで踊るだけでいい。 余計なことは語るな”・・・。

俺はなぁ、ダンスする時はいつでも、ダンスで言葉を表現するんだ。
これが"Pelpa"という言葉の意味さ。

"Pelpa Manはくたばらない"、"Pelpa Manには愛がある"ってことを この"Pelpa Dance"で表現しているんだ。」

(訳:Lady-K)

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