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Dancehall Queen Reportやダンスホール事情、ダンサーインタビュー、ジャマイカのダンス情報などを中心にお届けします☆

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DING DONG'S NEW DANCE - BEFORE SUMMER & SURF

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久々のニュースの更新です。お待ちいただいてた方には本当申し訳ないです。
今回は人気ダンサー Ding Dongの記事を紹介したいと思います。

イギリスのレゲエチャートで1位を獲得した Ding Dongのシングル「Bad Man Forward, Bad Man Pull Up」の歌詞の中でも歌っているニューダンスの「Before Summer」。

ダンサーだけでなく、Deejayとしても活躍中のDing Dongが、今度はその同名の曲をレコーディングした。

「このダンス(Before Summer)はあちこちですぐに流行るよ。
見たらすぐにわかるダンスさ。ちょっと変わったダンスだからね。
6つの違ったダンスから作られているんだ。

今俺たちが支持しているロードダンスは、毎週日曜日にマウンテンビューのレイバーズ・クレイバーズ・パークでやってる「Gabba Sundays」さ。」

Ding DongはRavers Clavers Crewと一緒にバハマでのショーを控えている。

「今俺たちはヤバいショーをやってるんだ。毎週末はどこかしら営業に行ってる。みんな俺たちのショーが大好きだからね。」

YardFlex.Comの情報によると、先週、St.AndrewのNannyvilleにあるレイバーズパークでDing Dongのインタビューをした時に
ロンドンのCHOICE FMではDing Dongのヒット曲「Badman Forward, Badman Pull Up」が初のNO.1を獲得したということだ。

最近ではDigicelのCMコマーシャルにも出たり、ちょっと前だったらVoice Mailのヒット曲「Wacky Dip」のPVなんかにも出ていたので、Ding Dongを見たことある人も多いだろう。

今の彼には自分の持ち歌の「Badman Forward, Badman Pull Up」があり、ジャマイカのShottas達(ギャングスタ)のために作られたというこの曲のダンスは、大ヒットとなった。
(かつてのギャングスタが踊るダンスは、こんなステップ系のダンスではないという固定観念があったんですが‥)

「Badman Forward, Badman Pull Upは、去年の夏、俺がイギリスに行った時にすでに作ったダンスなんだ。

イギリスで俺とキーバとマッドミッシェルとサディキとクレイグドレッドで最終的に仕上げた。
ちょうどサディキがイギリスツアーの真っ最中でさ。

その当時のダンスファン達はみんなボーグルのWillie Bounceに夢中で、他のダンスには目も向けないって感じだった。だから俺はみんながこのダンスに目を向ける時期を待ってたんだ。」

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(写真:Badman Forward Badman Pull Up" Live by Ding Dong【Jamaican Music Video Vol.46】)

Ding Dongの本名はKemar Ottey。

今までのヒット曲、Voice Mailの「Wacky Dip」や、BogleとVoice Mailの「Weddy Time2」などにもDing Dongの声が収録されている。
また数ヶ月前にはソロで「Chakka Chakka」の曲もレコーディングしている。
しかし、彼が初めて大きく注目されたのは、「Badman Forward, Badman Pull Up」である。

「今、最高の気分だね。だって、そうだろ?今までにどれだけのDeejayがNO.1を取ったことがある?
俺はすでにNO.1をゲットしたんだ。そりゃぁ最高な気分だろ!?」

このインタビューの時期、彼のシングルは、サウス・フロリダのレゲエシングルのトップ20のチャートでも15位にチャート入りしていた。

ジャマイカでは、ダンスというのは感情表現の手段として、またキングストンの広範囲に渡る多くのゲットー地域で起きているストリートのバイオレンスを防ぐための代償になるもの、と考えられている。

Ding Dong自身が設立したダンスクルー「Ravers Clavers」は、Overmars、Chicken and Beer、Johnny Bravo、Sir Yummy(見かけは一番年上に見えるが実際には一番若いダンサー)、Mundo、 Pree Dem、 Strengthから成り立っている。

すでに、このクルーで4月にはイギリスツアーの話も決まっているし、最近ではアンティグアとバルバドスにツアーに出ていた。

「Ravers Claversと名付けた理由は、俺たちは1週間のうちの7日間RAVEして(熱狂し続けて)、毎日を楽しんでいるからRAVERS。
で、毎日RAVEしながらDeejayをやりたいからCRAVERS。
俺が「Ravers Clavers」と名付けて、設立した。」
とNannyville在住の25歳のDing Dongは説明した。

「Badman Forward, Badman Pull Up」のダンスは、ダンスホールの現場に行く者達の中で今もっとも人気のあるダンスだとDing Dongは説明した。

「このBadman Forwardのダンスは、Jiggyでは踊りたくない、自分のルーティンで踊りたいというBad Man達のためのダンスなんだ。
ステップしながら踊る。
奴らが好きなダンスはみんなも好きになるし、絶対に流行るんだ。
それにしたって、こんなにたくさんのBad Man達がダンスして楽しんでいるのを俺は今まで見た事がないよ。」
と笑った。

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(写真:Badman Forward Badman Pull Up" Live by Ding Dong【Jamaican Music Video Vol.46】)

「みんなはこの曲がプレイされるのを待ってたんだ。だからみんな踊る。これは今始まったばかりさ。」

カラフルなシャツとゴールドのアクセサリーを身につけたスレンダーなイケメンダンサーのDing Dongは、周りの仲間達にとって喜びのもととなっている。

YardFlexが写真撮影とインタビューをしている間も、彼はジョークを飛ばし、仲間のダンサー達を笑わせていた。
その撮影の間の彼のジョークのいくつかをここで紹介したいと思う。

「ヘイ!(仲間達に向かって) いいか、お前達、写真を撮る時はいつも笑わなきゃ~。
笑った方がカッコいい写真が撮れるぞ」

「そうだ! ポーズを決めるのも仕事の一つなんだから、それをマスターしなきゃ!」

「ヘイ!カメラマン、携帯電話を持ってる写真を1枚頼むよ。なんたって俺の携帯は今最新の機種なんだからさ~」

さらに彼はカメラのディスプレイで自分が写った写真を1枚ずつ見ながら、
「おぉ~これはMADだ、俺はこれが気に入った! 俺のシャツはイケてるな~ これにはみんなヤラれるだろ~、
な、チキン&ビア(彼のダンスクルーのメンバーの名前)もそう思うだろ!それにしても俺のシャツはヤバいな~」

数日前のストリートダンスで突如結成されたというDing Dongのダンスクルー "RAVERS CLAVERS"の仲間達とジョークを交わしながらインタビューを受けている途中、
彼は休憩しながら語り始めた。

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(写真:DANCERの"DING DONG" & "SPIKE" @PASSA PASSA 30)

「ダンスに行った時、俺がいつも乗っている古いVAN(車)を見たエレファントマンが、
『Ding Dong!お前、何のVANに乗ってるんだ??お前たちイケてるのか?』と見下すように言ってきた。
俺はエリーを見上げ、『俺の曲はもう聴いた? エリー、君の曲はイケてるの?』って一言言ってやった。
そしてすぐにその場を立ち去った。

エレファントマンの最新のチューンの一つに、Ding DingのNO.1ヒットソング「Bad Man Forward, Bad Man Pull Up」のフレーズをパクったものがあるとDing Dongは訴えた。

「俺たち "RAVERS CLAVERS"は今年やるぜ!」

毎週日曜、夜11時から夜中の3時までの間、NANNYVILLEで行われている「GABBA SUNDAYS」でDing Dong達は踊っている。
「Gabba Sundays」のホストサウンドはCD SOUNDのDJ WHITEMAN。

●ニューダンスのSURF (WIPE OUT)

この記事で紹介しているニューダンス「Before Summer」の他に、
"Wipe Out"のリディムの曲で作られた「Surf」というDing Dongのニューダンスがある。

しかしFras CrewのShortmanの話によると、このSurfというダンスはWipe OutのShifterの曲にあわせて
彼自身が作ったダンスで、Ding Dingはそのダンスをパクったと訴えている。

2~3週間前のGabba Sundaysで、DJ WhitemanのMCによってDing DongのニューダンスのSurfが紹介されたが、
それよりもっと前の7週間前に行われたFoota Hypeのバースデーバッシュの時に、
ShortmanがShifterの曲でSurfというダンスを創ったらしい。

その後、Gabba SundaysでDing Dongを2~3回見かけたが、彼はその時Surfのダンスはしていなかったそうだ。

Shortmanは「サーフのボディボードのダンスをしていたのは俺だけだったし、どのダンスに行っても俺だけがSurfのダンスを踊っていたのに、Ding Dongがそれをパクった」と言う。

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(写真:DANCERの"DING DONG" & "MASTRO" @PASSA PASSA 30)

レポーターが、New YorkのJFK空港でDing Dongをキャッチし、その話をしたところ彼は笑うだけだった。

さらに問いただすと、Ding Dongは自分のバックの中から1冊のファイルを取り出し、1枚の新聞記事の切り抜きを見せた。
それはHard Copyの4年前の新聞記事で、Ding DongがSurfのダンスとほとんど同じ動きをしている写真が掲載されていた。

「なぜ俺がShortmanのSurfのダンスを盗まなきゃいけないんだ??俺のダンスは全部俺が創っている。
Surfのダンスはもともと何年も前に俺が創ったダンスだ。
しかもWipe outやSkettelの1つのリディムでどれだけたくさんのアーティスト達が曲を出していると思う?
Shortmanはもっと曲についての勉強が必要だな。
ボーグルが死んた後、みんなダンスに出かけなくなった。
そこで俺がキーバやみんなを誘ってまたダンスを始めさせたんだ。
それにBad Man Forward, Bad Man Pull UpもDutty Wineもまだ大流行りのダンスだぜ~
Shortmanはもっとイージーさが必要だな。
奴のダンスなんてパクりたくもないね。」
とDing Dongはレポーターに語っている。

最近のDing DongはBRONXで行われたSQUEEZEのショーでダンスパフォームをし、
その翌日にはROY WILKINS PARKで開催されたIrie Jam主催のセレブリティのサッカーマッチに参加。
そこで見事に彼がゴールを決め、2-1でチームの勝利が決まったとか。
Ding Dongはサッカーも得意らしい。

ところで、Surfのダンスは結局誰が創ったダンスだったんでしょう?
話はこれで終わり?って感じですが。
時間が解決してくれる、ということで。。。

情報:YardFlex Com.
翻訳&テキスト RUFF-CUTかずみ

2005 International Dancehall Queenの謎の死

「Dancehall Queenは皮膚病による病死だった」と医者は語るが、その真相は‥?

情報:Hawkeye from Canadian DHQ Promotor
リポート: KAVELLE ANGLIN-CHRISTIE
翻訳&テキスト:RUFF-CUT (Kazumi)

画像をクリックすると拡大して見れます

Dancehall Queenの死

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(写真:Shanique Taylor@International DHQ 2005)

昨年モベイで開催されたRED LABEL WINEの2005 Dancehall Queen Contestで優勝しクィーンになった「シャニーク・テイラー」は急性の皮膚病のために死亡したと医者は語る。

彼女が朽ち果てる最後の時期は、相当の痛みに苦しんでいたそうだ。

テイラーの家族の話によると、彼女の死は黒魔術によるものだと主張したが、
彼女の担当医だった医者の話によると、【とうそう】(※伝染病のひとつ)だと語っている。

彼女の継父にあたるアルヴィンマーティン氏の話によると
「テイラーは7月30日にモベイで開催したDancehall Queen Contestで優勝し、
その後11月にカナダで2つのショー(Canadian Dancehall Queen)をこなして帰国した。

ところが同11月の最後の週あたりに、テイラーが突然自分の足の異変を訴え始めた。
見ると彼女の足の指の間に若干のにきびのような吹き出物ができていた。
私たちは心配になってテイラーを病院に連れていった。
ところが医者はこれは水虫だと言った。
しかし指の間から出ている膿や症状を見て、私たちはこれが水虫ではないと判断した。」

身体中の痛み

テイラーの父マーティンは語り続けた。
「12月の第2週目になって、私たちはもう一度医者を訪ね、それからずっと通い続けた。
しかしテイラーの容態は悪化する一方だった。それは身体全体に広がり始め、どんどんひどくなった。
テイラーの口は小麦粉で揚げたフリッターのようにふくれあがり、しばらくすると今度は身体中に痛みを訴え始めた。
少しでも早く良くなるようにと、私たちは頻繁に医者を訪ねて、検査をし続けた。」

「私たちはテイラーにあらゆる検査を受けさせた。
エイズの検査もしたが結果は陰性だった。
医者は、テイラーの一体どこが悪いのか見つけることができない、と言ったが、彼女の容態は悪化していくばかりだった。
その時の話はしたくないほど最悪な状況だった。私たちはストレスを感じた。」

「それから34ヶ月後、テイラーはあっけなく朽ち絶えた。
もしあのとき、私の娘テイラーの姿を見たら、あなた方には信じられないことだろう。
身体の腐敗した部分は切り取られ、私たちはテイラーの身体にJeyesを使い始めなければならなかった。
その部分にはハエとウジが集り、1日に何度も消毒してきれいにしてもまったく無意味だった‥」

医者は言った。「さもなければ‥」

ジャマイカの新聞STAR紙が匿名希望の数人の医者から話を聞いたところ、
テイラーがエイズの検査をした際、彼女には痘瘡【とうそう】(※伝染病のひとつ)の可能性があることが判明したと言う。
「とうそう」とは、皮膚に吹き出物やイボなどのひどい障害などが出る病気だと医者は説明した。

「この病気は遺伝ではない。死亡率は低いので、医者によっては治癒もできると言われる。
もしあなた方があの時テイラーがどんなにひどい状態だったかを知ったら、
近い将来死に至るということに疑う余地もないだろう。

彼女の肋骨には巨大な数のウィルスがはびこっていた。
痛がる箇所も多かった。

初めて私がテイラーと対面した時、彼女の目と口は開くことが出来なかった。
これは非常に危険で深刻な状態だ」と医者の一人が言った。

テイラーの死が「黒魔術」によるものであるという家族の意見に、医者はまったく耳を貸さなかった。

「こういうケースの場合、誰にもどうすることも出来ない。深刻な状態だ。」
最終的に皮膚科の専門医にテイラーを任せることにした。

その皮膚科の専門医は、病院の許可なしで、コメントをする気はないと申し出たが、
「この病気は薬やドラッグなどの使用によっても引き起こすことが可能である」と語った。

これによって、何者かが悪意を持ってテイラーに何かを飲ませた、と主張する家族の意見に少なからず信用が高まった。

「海外には無数のドラッグがあり、使用の方法によっては、このようなケースが現れる場合もある。
だがテイラーがそうだったと言う気はない。」と担当医だった皮膚科の専門医は語った。

父・マーティン自身による調査

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(写真:Shanique Taylor@International DHQ 2005)

テイラーの父、マーティン自身がこのケースについて調査したところ、
今年の1月と2月にテイラーが黒魔術師のところを訪ね、
そこで誰かに何かを飲まされた、ということを確信した。

「人に危害を与えるような場所に私は最初行かなかった。
しかし、このことを明白にしたかった。
私にはすべてを知る必要がある。
だから私は黒魔術師の場所を訪ねた。
そこで私が直接聞いた話は、誰かが儀式の中でテイラーに何か食べ物か飲み物を与えていた、という事実だった。」

「私たちがテイラーを病院に連れていった時には、もう手遅れの状態だった。
テイラー自身も自分の人生を脅かす何者かが近づいていると確信していた。
彼女に何かをした者には報酬が与えられたはずだ。」

テイラーの母、ブロッサム・マーティンが言った。
「私は非常に熱心なクリスチャンです。シャニーク(テイラー)もその事をよく知っています。」
そしてシャニークの最後の言葉を思い出して、彼女の声は震え出した。

テイラーは死ぬ前に言った。
「マミー、マミーに会いに教会に行くわ。
あの人達が私に何をしたかわかっても、何もしないで‥。
あなた達の手を汚してほしくないの‥ マミー‥
あの人達が私に何をしたかわかっても‥」

「私たちには、テイラーがただの病気ではないことはわかっていた。
けれども医者は皮膚の病気という結論しか出してくれなかった。
だけど、皮膚の病気だけでは、こんなに早く死に至ることはない。
テイラーの皮膚はどんどん溶けているようだった。
言葉ではうまく説明できないわ。
テイラーの顔は焼けただれた状態で、彼女の胸も首も足もすべてセメントで覆われたようだった。
鼻から出血し始め、腐った足からはウジが出て来て‥ 」
とマーティン夫人は泣き始めた。

夢にしがみつくこと

夫人はつい取り乱してしまったと謝った。
「医者はテイラーの白血球がバラバラになり続けていると説明していたわ。
どうしたらいいのかわからないとも言ってた。
あらゆる検査をしても、どれも陰性という結果だった。
陽性という結果は何ひとつなかったの。

テイラーの夢の一つに、婦人科医になるという夢があった。
彼女には一生ダンスを続けていく意志はなかった。
なのに彼ら(彼女ら)はテイラーの人生をめちゃくちゃにしたのよ。

今の私には、彼女の夢にしがみつくこと以外、何も残ってないの。
結局テイラーは2月の末から4月までの間、ずっと入院して苦しみながら死んでいったわ‥」

夫人の話によると、テイラーの死後、娘を毒殺したという犯人が自供し始めたと言うことだった。
また、テイラーの友人の一人が「シャニークの服を盗んだのは私じゃない」とマーティン夫人に話したそうだ。
夫人は彼らにテイラーの服を返すよう指示した。

「私たちが与えた食事から娘が病気になることは決してないと断言出来るわ。
彼らが娘にやったことは度が過ぎていた。そしてテイラーは死んでしまったの。
テイラーの身に何が起こったのか知ったときの彼らは、誰一人として私の顔をまともに見ることは出来なかった。

今となって、この事件のことが少しずつ浮き彫りになってきた。
「5月21日はテイラーの21歳の誕生日をお祝いするの。そうでしょう?」とマーティン夫人は遠い目で私たちに問いかけていた。

今年の7月までクィーンはいない

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テイラーのQueenとしての時代はあまりに短かった。
彼女と一緒に仕事をした者達の話によるとテイラーは他のクィーンとはちょっと違ったタイプだったと語っている。

またDancehall Queenのリーダー、Brian "Big Head" Martinことビッグヘッド氏は、
来る7月29日にモベイのピア1で開催される今年のコンペティションまでの間、テイラーに代わるクィーンはいないと語っている。

「今年のコンペティションまであと23ヶ月あるから、通常なら次点者がクィーンとなるが、
今回の場合はそれがベストなやり方だとは思えない。

もちろん 2005年のDancehall Queen、テイラーへの尊敬の気持ちもあるし、テイラーに代わるクィーンは今のところ考えていない。

しかし、今年のクィーンへの冠の授与は昨年の次点候補者だったダンサーに託すつもりだ。
また今年のコンペティションではテイラーの追悼式も行う」とビッグヘッド氏は語った。

「今まで9年間続けている、このコンペティションの中で、テイラーのようなクィーンに出会ったことはなかった。
彼女は他人との仕事もスムーズにこなしていた。
ステージの上と、そうでない時の彼女はまったく別人のような印象だった。
テイラーはいろんな場所に営業に行ったが、どこに行っても人々から好かれた。
なぜなら彼女は勤労を善とする価値観を持っていたから。
テイラーの態度もすばらしかった。
そして彼女はチームとしても活躍していた。」

「今までのDancehall Queenのほとんどは、特定のバックグラウンドから出てきたダンサーであり、
彼女達はいつでも仲間を敵に戦っている。
しかしシャニークは、そのようなヴァイブスは発していなかった‥

私はシャニークが世界を又にかけ、あちこちのツアーに出かけ、パフォーマンスをする機会を得たことをうれしく思っている。 」とビッグヘッド氏は語った。

「今回の出来事は非常に悲しいことだ。そして父親は彼女の死を見たのだ。
この場を借りてインターナショナルダンスホールクィーンに特別な敬意を‥」

来る2006年7月2日、カナダではシャニークの命を祝福するための特別な企画のもとで、「International Dancehall Queen」が開催される予定。
このコンペティションに参加したいという方はメールにて募集中。

(Lady-K)

1st Canadian Dancehall Queen Contest 2005 Report

2005年12月17日にトロントで開催された「弟1回インターナショナルカナディアンダンスホールクィーン2005」のリポートを更新しました。

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1st Canadian Dancehall Queen Contest Reportはこちらで見れます

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